明日は今日であり、昨日は在りし日の今日 - on the "TODAY" -
僕らは常に、今日という時間の中に埋もれていて
夢を見て、後悔して
悔やみ
悩み
叫んで
息をついて
それらはすべて、今日という名の「今日」の中に集約されている。
人は、明日の自分に望みを託して
それは明日でも明後日でも、一年後でも十年後でも
大事なのは長針が頂点を越えれば、
明日は2周分向こうへと消え去り、
自分の手元に残るのは、
明日という名の「今日」である。
未来を語るのは素敵な事であっても、
常に自分が置かれているのは今日であり
それが直視できない時に、
僕らは逃避してしまうのだろうか
誰もが、傷を持っている
それはココロの傷なのだろう
一生癒える事のない傷なのだろう
人は、過去のどこかに自分の傷を流し込んで
それは、昨日でも、一昨日でも、一年前でも八年前でも
大事なのは、それぞれの瞬間は「今日」あり、
自分の中でタイトルをすげ替えているだけ
自分の記憶に残るのは
昨日という名の「今日」である。
過去を語るのは美しいかもしれないが
それは、つい一瞬前まで自分が存在した今日の話であり
それを過去と言い切るのは
やはり逃避なのだろうか
逃避は人間の持つ性であり、
僕らは常に「今日」という点の上に存在している
だからこそ、
だからこそ、「今日」という名の上で
自分の納得の行く「今日」をひたすら重ねていく
それが並んで、
人は今日という名の終着地に辿り着けるのだろう
常に「今日」の上で
僕は問い掛ける
過去という名の「今日」に置き去りにしてきた、この想いを
そこは・・・寒いかい。
98 12 16 in da house