シュウ [ 9 May 1999 22:12:20 ]
確かに「生殖行為」として大きく括るのは不必要な「?」を残し過ぎるとは思った。
でも、オレとしては「マニュアルを書いてるつもりは無い」というコトでコト細かに言及するコトを避けられる、と思っていたんだが、ちと甘かったかな。
というのは、例えばさいかの言う「不妊症」であったり「無精子症」であったりってのは、オレの中ではスデに解決が着いてたりする。同性愛にしてもそう。フェラチオにしてもそう。アクマでも、オレの中で、ね。
しかし、読み直してみて、確かに少し反芻する必要はあるかもしれないと思った。ていうか、一旦前回迄の記述と重複するのを承知で、今迄使用してきたコトバとは少し違うコトバで語り直すコトで、終結に継げれるのではないか、と思った。
上澄みだけを見れば、ドンドンと新しい概念やコトバを垂れ流しているようにしか見えないかもしれないが、付き合って貰えると嬉しい。
じゃ、「生殖行為」に関して。
何度となく「生殖行為」のキッカケを「向上心」というコトバで片付けようとしてきたけど、あまりにも広義過ぎたのかもしれない。
オレが言う向上心ってのは、己の欲の枠の中だけで己のみを着飾りたいと思う気持ちじゃあないんだよな。
そうでなくて、日常の生活の中で生じる「不安」だとか「必要」を埋めたいと強く願う気持ち、そして、覚悟と行動を交互に繰り返すコトでその願いを達成する一連の心の葛藤を非自愛的に、若しくは客観的に、肯定しようとする決意だと思うんだ。
「種の保存」とさいかがキーワードを示してくれていたが、この保存も、タダ闇雲に「この種を増やしたい」と傲慢かつ狡猾に推進するコトではないと思う。
年老いてゆくコトへの不安だとか、物理的であれ精神的であれ「足りない」と感じるナニカへ執着する動物的本能だとか、つまりは「普遍」の飽くなき追及の結果。
「普遍」と「向上」って対峙するような気がするな。けど、「普遍」というラベルの着いた「時間」を推進力としたベクトルのスロープが「向上」だとすると、少し概念として捉え易いと思わん?
え?括弧使い過ぎ?う〜ん。短時間で沢山のキーワードを扱うから、極力抜け落ちないようにする為に、って、使ってしまうんよね。誰の脳味噌から抜け落ちるか、ってったら、オレのなんだけどな。
トニカク。
「生殖行為」ってのは、その「向上心」をキッカケとしたセックスだと思うんだ。種が「保存」できるかどうか、できたかどうか、ってのは事実ではあっても真実ではない。
どうだろう。そう考えると、前々回に「セックス自体はリスクでもリターンでもない」と言ったのも、なんとなくワカって貰え易くなるんじゃないかな。ぶっちゃけた言い方をすれば「子供がデキない」というリスクを背負ったリターンは「子供はデキない」という事実であって、それと「生殖行為」としてのセックスの存在の是非、もっというと本質とはナンのカカワりも持たないんだよ。
「生殖」という言葉が上記の概念を邪魔するような気がしてたんだ。だから「セックス」という言葉を本当は使いたかった。だけど、ソレとタダ闇雲に自愛を追及する為だけに道具として相方を利用する行為とを一緒にしたくなかったから「生殖行為」と括ったわけで。
閑話休題。にならんかもしれんけど。
オレの思う「人はなぜ生きるか」をココでツラツラと延べたトコロで、無駄に時間を浪費するダケのような気もするんだけど、少しだけ。
人間の行動の心理の方向、というか、日々の生活の中で「現在の自己」と「未来の自己」を方向づける対象か、ま、それを二分するのもヤヤ問題アリを承知で、「神へ」と「動物へ」だと思うんだ。で、ヘンかもしれないけどそのベクトルの推進力になっているのはドチラとも「倫理的悪」の概念だと思うんだ。
社会と自己を対峙させるコトで生まれる倫理的悪の概念の濃度差や温度差で人間の行動ちうのは制御されていると思うんだ。
「神」への信仰を最重要視するコトで周りに住む親や兄弟や親友を、そして自分が住む社会をも傷つけ苦しめるコトと、自己の欲求をより「動物」へと近づけようとするコトで周りに住む親や兄弟や親友を、そして自分が住む社会をも傷つけ苦しめるコトは同一、とでも言うのかなぁ。そゆ意味で「信仰は神さまとのファックですの」というのはモノスゴクわかりやすかったんだな。オレとしては。
つまり、その対象(神/動物)を求めたり拒否したりするコト、ってのは、あるモノゴトを「本質」と「実体」に分けたとして、その間を右往左往するコトなんじゃないかな。社会が強要する倫理的悪という尺度で。
で、その倫理的悪との付き合い方を試行錯誤する作業ってのが「葛藤」なんじゃないかな。んでんで、このページのメインテーマである「?」というのは「疑問」ではなくて「葛藤」なのではないかな、と思う。
あまりにも広義過ぎて、誤解、いや正誤じゃないな、不必要な疑問を生むコトは覚悟している。けど、この「葛藤」を捻り出したかったのよ。すまんね。
ちと戻ろうか。もう嫌か?ま、ええがな。嫌やったら押し逃げしたらええやん。
さっき使ったコトバの使いマワしだけど、「生殖行為」も「本質」と「実体」、いや、「真実」と「事実」でも良いや、トニカク、そう二分化できると思う。
「生殖行為」の「実体」や「事実」ってのはつまり「子供ができるセックス」であり、ちんぽをおめこにツッコんで射精するヤリ方ノミであり、オレの言う「マニュアル」に書かれてあるコトであり、婚姻届けでその社会的是非が決定するコトであり、倫理的悪の概念に照らし合わせたウエで、神秘的か動物的かを下世話に解釈非難するコトであり、「数」として数えれるコトでもある。
んで、「本質」や「真実」ってのは向上心をキッカケにするだとか、自然体で思い遣るだとか、キスだけでイクコトだとか、暖かい口の中で射精するコトだとか、絶対にコトバドオリの生殖には現在の科学では継がり得ない愛情表現のヒトツだとか、と考える。
ふぅ。
で、「TRUTH!!」でなく、「とぅる〜す?」が求めようとしているのはナニか。
それは、この「本質と実体」や「真実と事実」の間に蠢く「葛藤」じゃないのかな。
んで、今期(←次もヤル気らしい)の大本命、「浮気と本気」なんだけど、つまりはこの「葛藤」へのアプローチの仕方なんじゃないかな、という気がしてきた。
イキナリもうヒトツ、並びコトバを挙げようか。嫌か。ま、ええがな。ついでじゃ。
「甘え」と「自由」。
オレの思う「浮気と本気」の違いというのは、イチ個人が持つ「葛藤」へのアプローチが「甘え」であるか、「自由」であるか、だと思うんだ。
1日30本鉛筆を削るダケの「経験」と、例え1日30本削るダケだとしても、その中でナニカの「学習」を共なっているコトとの違いの話があっただろう?
そこに継がってるんだけど、その「葛藤」をナスガママにしておくような、う〜ん、ナルチシズム的自己犠牲を含む「甘え」というアプローチと、その「葛藤」に対して善悪、是非、推敲の継続、考察の断絶、といった判断を責任(≠罰)を持って「自由」にアプローチするコトを比べながら煮詰めれば、「浮気と本気」が見えるような気がするんだ。
例えば「シュウくん、賢いねぇ」というコトバをダレカが吐いたとして、それは「ワタシハバカノママデイイ」というナルチシズム的自己犠牲から来ているのかもしれないし、「ワタシハアナタヲドウオモウカ」という責任を共なった批判から来ているのかもしれないわけで。
「あの人のコトが好きなんだ寝たいんだヤりたいんだ欲しいんだ」というコトバの裏側にある「甘え」と「自由」を見抜くコトで、「本気と浮気」を区別出来るような気はしないか。もう区別してるような言い方だけどね。
さてさて、ええ加減このへんでヤめとかんと、本一冊書けそうになるな。明日月曜やんか。仕事やし。
どうだろう、さいか。この「甘え」と「自由」。ピークとしては、良い並びコトバだと思うんだけど。
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