とぅる〜す?
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書いてんの by 魂兄弟コンドヲ☆シュウ & さいか
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第11回 「甘えと自由」−その2- 「真実?への収束」
さいか [ 12 May 1999 02:43:50 ]

難しくなったり、簡単になったり、言葉は絶えず変化する。こうしてここに書いている間にも俺達は変化していくのだろう。それは読者にしても同じ事。少しずつ理解してもらえればいい、俺達の青臭い言葉共を。

シュウ兄から、「甘えと自由」なるテーマが揚げられたので、俺なりの返しでもかましておくか。一致するやら、しないやら。まあ書いてから考える。

このテーマを出された時に最初に思ったのは、言葉を入れ替えているだけで、結局のところ言いたい事は一つなんだな、という事を再確認した。これは後半で語ることにするが、実は俺達はある言葉の廻りをただヒタスラに廻りつづけている。グルグルと・・・

それはいうまでも無く「?」なのだが、そろそろそのボヤけていた輪郭が見え始めてきた。さらにシャープにするためにも、俺なりの甘えと自由の認識を

精神論の様相が強いが、甘えにしても自由にしても、そのキーワードは「覚悟」という一言のような気がする。

個人としてでもカップルでも何でも構わない、自分のスタイルや主張に薄い壁を作って防御する事が、すなわち甘えなのではなかろうか。

恋愛やセックスという枠に限らず、自分が何か行動しようとした時に「でも俺は…だから駄目だ」「ほら、私って…だから無理ですよ」という意識というのが働くことがあるだろう。これは紛れも無い甘えだと思う。いや自己防衛なのかな、傷つかないようにするための。

恋愛、セックス、仕事・・・まあ、どんな事に関しても一生懸命とか、余計な障害の除去は大事だと思う。全部をそうするかは好き勝手だが、

恋愛ならよりオープンで相手を好きという気持ちを隠さなければいいだろう。
「自分なんて…」と思うのなら、それを取り払う心意気と行動をすればいい。

セックスなら、快楽に対してオープンになるも良し、ようは余計な思考を持ち込まなきゃいい。
「下手だから…」「感じないから…」馬鹿々々しい、そんな事考えてるから、その言葉に呑み込まれるだけだ。

仕事なら、一生懸命すればいい、より効率良く納得行くように努力、行動すればいい。
「どうせ要領良くないし」「この仕事は向いていない」・・・結局、言霊に支配されるだけ、何もしていないんだろ?していてもそれは必要充分ではないのかもしれない。

誰かと比較して自分を卑下する暇があるなら、自分が自分として自信が持てるようになればいい。
「誰かさんは〜だから、私なんか…」…

…まだ繰り返す必要はあるかい?

俺は甘えをこういうモノと捉えている。いわば言い訳の塊である。
言い訳は繰り返す事でいつしか言霊となって自分にまとわりつく、そしてその呪縛から逃れられなくなる。この辺はTRUTH!でも書いてあることだ。

今までの言葉にも当てはまって行く

浮気・・・それは本気ではないことへの甘えなのだろう、だから行為を正当化すべく浮気というアリテイな言葉を持とうとする。自分の意思の不明瞭さへの甘えというか逃げ道。

繰り返さないという事・・・単一のセックスはそれで1回という言葉で逃げようとする。カラダはカラダ、ココロはココロ。様々な言葉が甘えとなり自分の対となる経験の積み重ねを否定する。


…気づくだろうか、この二つはそっくり逆にいうこともできる。つまり本気という言葉も甘えであるし、積み重ねて繰り返す事も、一回の快楽を否定するという甘えとも言える。うーん、言葉遊びに見えるかなぁ。

実は、この言葉のちょっとした置き換えによる矛盾と疑問、これがオチなんだ。
もう言葉は前回も出ているんだけど、まあ…それはもちっと後で。

とにかく、俺にとって甘えというのはここまで書いてきたもの、つまり逆に捉えることはできない。積み重ねる快感を肯定し、本気の素晴らしさを信じている。俺にとっての甘えとは、自分を守るための言葉の塊ということだね。

…大事なことなんだけど、俺の中にも甘えはある。でも、それは日々薄く小さくなっていっているんだ。だから、こんなことが平然と書ける、それは忘れないで欲しい。

一方、自由とは…残念ながら「甘えていない」とはいかない。いや、そうであることが理想なのかもしれないが、微塵の甘えもない人間なんて恐らくいないんじゃないかな。俺もそうだし、シュウ兄だってそうだと思う。

では何か…もうシュウ兄が前回書いている事なんだけど、ようは覚悟しているかどうか、それに気づいているかどうか、ということなんだ。そして気づくだけではなく努力をしている。甘えを無くして少しでも自分が自分らしくあるために

結局、甘えというのはカラダにまとわりついた色んな種類、色んな次元の垢なんだ。だから洋服のようにハイ脱げました。とはいかない。垢があることに気づいたり気づかなかったり、けど、それが日常の一部であれば邪魔ではないんだよね…臭いか?わはは!

けど、もし甘えを取り払うという意思とその行動(意識変化)が伴えば、それはアカスリみたいなもんだから、自分が今まで気づかなかった汚れに気づく。こうして垢を取りはじめるのだろう。その先にはきっと自由がある。

さっきから自由の手前部分を書いているけど、それは俺が全ての面で自由にはなっていないからだな、もう書いたけど、多少の甘え…つまり垢がある。それでも全てに捕らわれているわけではないから、その分、自由ともいえる。

自由はとても楽。好きな人にココロから好きと言えるし、セックスだって変な知識や経験に左右されない、その場の二人の快楽が満たされ精神的に満足できるように行動する。これは二人の経験となり次への蓄積になるんだけどね。この辺は「繰り返しの差異」で述べたこと。

ただ自由であるという事は、何もかもが楽なわけではない。甘えという防御壁がないのだから、すべての事柄は直接自分にぶつかってくる。相手の感情とか、第三者と自分の差という現実、今の自分の力量という現実。自由であるという事は、それらの全ての現実と常に真正面からぶつからなきゃいけないんだ。

だから俺は自由とは覚悟というのである・・・・わかった?

でも…そこまでして自由を得て、果たして何を得るんだろう?実は甘えの方が楽なんじゃない?
さてさて、ここまでのとぅる〜す?はこうして「?」を生み出してきた。
これが終わりの見えない旅の原因なんだけどね。もう、そろそろ収束しないと、大変そう。


様々なテーマが浮かんでは消えていくのだが、前回のシュウ兄の中でいよいよ、このとぅる〜す?の最後、俺的にいうところのオチが見え始めた。


葛藤



そう、この葛藤がここまでのとぅる〜す?の中で出かかっては消えていく重要な言葉であり、それは今まで「?」という言葉に代返されて書かれてきたんだ。この言葉を受けて、「な〜んだ、そんな事か」と思った読者も既にいるかもしれない。それはその人の、このページの最終回になる、今日がね。

俺は、この葛藤という言葉に手が届く寸前の状態、あとは廻りを見なおして最後に触れたいと思っている。おそらく、それがこのページの最後になるのだろう。シュウ兄も同じ事。いよいよ見えない出口が見え始めてきた。

さて、あと一回か二回あれば収束へ迎えると思われる。
ここでは、このキーワードを残して、シュウ兄へ戻すとしよう。

「甘えと自由」の残りを書き連ねて、今回のテーマである「?」すなわち「葛藤」への最終アプローチを開始しないかい?>シュウ兄


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