シュウ [ 2 May 1999 18:52:00 ]
結局昨日は寝てしまった。簡単に更新して「ハイっ次ぃさいかねぇぇ」なんて薄ら寒いモノにしたくない、って気負いもあったんだろうけど、少し考えると、どうやら自分自身の欺瞞も少しあったみたい。
後悔日誌のように「読ませるコトを意識しない」書きモノと一線を引こうとバカリに躍起になっていたんだと思うんだ。「読ませよう/楽しませよう」なんてコトを意識してたのか、不思議とキーが打てなかった。残るのはヒトコトフタコト書き込んだメモばかり。
でも、よくよく考えてみれば、オレはオレ以上でもオレ以下でもないんだし、他人のフンドシでナニか書くようなマネさえしなければ、それで良いハヅなんだよな。うん。
こういうコトを考えれる時間が持てたコトだけでも、倖せに思うよ。
あ、そうそう。さいかの言う「それ(「わかりづらい」だけ)もまたヨシ」というの、オレもそう思う。見てワカラん人には言ってもワカラんやろ。今はそういう結果しか産まなかったのだ、という現実で、オレは満足だ。可も否もない。
さて。一応「浮気と本気・その4」とはシタんだが、うん、どちらかというと「射精行為」と「生殖行為」にワケて前者を捨てた段階でスデに「浮気と本気」なんてのは終ってしまっていたようだ。けど、偶数で組みにする方がナンだかスッキリするんで、そゆ副題にしてしまった。前回、前々回の焼き廻しのような感も否めないけど、「本気の本質」についてもう少し語るコトで、次へ継げてみようと思う。
さいかの言う「直感」ていうのは、オレにとっては(そのイメージは人によって違うんだろうけど)ビックバンみたいに、最小状態にあったモノが、ある時突然パァンと弾ける感じかな。で、減速無しにドンドン脹らんでく。そのキッカケは匂いだったり仕草だったり色々だ。世に言う一目惚れかな。でも、自分がソコにアル「欲」に気付くタイミング次第なワケで、結局出会いってのは全て一目惚れなんだと思う。
ソレが、本気の本質を形成していくキッカケ、かな。
前出の「欲」だけど、これについては巧い言葉が見付からない。多分「支配欲」ってコトバが近いんだと思うけど「オマエのモノはオレのモノ。オレのモノはオレのモノ」な支配とは少し違う。
その人の声、その人の仕草、その人の匂い、その人の思想。その他モロモロのその人を形成する全てに憧れてしまう。欲しくなる。オレがもっとスゴいオレになるから。要はエゴかもしれないけども、より良い明日を求める姿を否定してしまっては、ナニも始まらないだろう、てコトで。
けど、どんなに物理的に密着したって、結局は個対個。じゃ、どうするか。「生殖」だよな。
「セックスをしたいと思って、そして実際にするか」とさいかは言うけど、多分同じコトだと思うよ。で、「生殖目的としての射精」と「快楽」の「ズレ」について言ってたけど、オレの思う「セックス」にも、それはある。オレは射精はするけどな。少し早いらしいけどな。
フェラチオでイクかイカないか、って話が少し前に随所であったけど、うん、そういう快楽なら自慰で十分。ていうか自慰の方が楽。その自慰的射精をパートナーと楽しむのは否定しないけど、それは生殖目的じゃない。そこにはさいか曰くの「同化して単一化した快楽」は無い。
ぶっちゃけた話、射精の瞬間ってのはオレの絶頂のピーク(←ヘンな日本語)の少し後なんだよ。で、その絶頂ってのは「生殖行為としてのセックス」のリスクとリターンがシッカリと心と体に染み渡っていないと、迎えられない。と思う。
で、リスクとリターンなんて、そう簡単にシェア出来るハヅない。本当にお互いが信頼し合ってそのシェアを築かないと結局自分本意の看板だけの「本気」になってしまう。とても時間がカカる作業だと思うんだ。いや、これは何時間何分何秒以上からO.K.っていう石田兄曰くの「数」とは全然別としての時間のつもりで、人によっては計れば0.15秒かもしれないし、また違う人によっては何年もカカるモノかもしれないんだけど。けど、トニカク相当な覚悟は必要だろうね。その覚悟ってのが、本気の本質の核になってるような気がするなぁ。
大事に思っている人に対してイチイチ↑のような言葉の羅列のプロセスなんて居らなかったりするけどね。今日フとミカケたページの言葉を借りれば「信仰心って神様とのファックですもの」って言葉が吐けるぐらい、囚われない核、てコトかな。あえて言うなら、てコトで。わからんね。
ああ、本当は「自然体」についてもっと書こうと思ってたのに。長くなったらごめんな。
さいかの言う「自然体」とオレの思う「自然体」が近いか遠いかを考える時点でソレはスデに「自然体」では無いのだけれど、オレの持つ「自然体で気遣う」のイメージってのは、結果論としての依存、かな。知らん間にそぉなってた、って感じか。つまりは既成のイメージなんて無い、ってコトにもなるけど。
オレだって「かまって女」の動向に常にアンテナを張り巡らせて、まるで「癒し屋シュウちゃん」のように、何時でも「プラス」を在庫してるワケじゃない。それに、オレの持っている、いや、その瞬間存在している「プラス」が果して相方にとっての「補充」になるかどうかなんて、正直ワカラない。
けど、「拙の精子と配合させてくれまいか」から始まった「生殖対象者への思い遣り」という核は、お互いに反響し合って膨張してくような気がする。
結果として、物理的な距離はどうであれ、その相方への想いがあって、相方もまたオレに対する想いがあって、でもその想いはお互いに比較出来ない程「個」として自立していて(これがつまりさいか曰くの「気を使わずに、気を遣う」部分かな)、それ故に「彼女」だとか「彼氏」だとか「妻」だとか「夫」だとかの看板が必要無い関係になってきてて。で、フと「公」という鏡に自らを映すと、とても「自然体」であるような。
「あの子、彼氏居るじゃん」とか「あんた彼女居るんでしょ」って人から言われても、オレの持つ「自然体で気遣う」行為ってのは、誰にも看板付けられないんだよな。
少しマトメてみると、オレにとっては本気の本質の核には「向上心をキッカケにした生殖目的についてくるリスクとリターンの認識と覚悟」があって、ソレがオレのペースで脹らんでいて、なんと意外にもそのペースに相方は心地良く感じていたのでしたん、というコトかな。おお。アラタめて見てみると、スゲいコト言ってんなぁ。恥かしいや。
チョイと休憩ギミに。
somedayという題で詩を書いたりして、あぁ、今ソンなコトをココで書くコト自体チヨと恥かしいんだが、トニカク、その中で
Someday I give you my rest; you only give your best
という内容のコトを書いたんだけど、コレにオレのは尽きるような気がするんよな。前々回の「誰もオレを完璧に愛せない」ってのは、別に悲観視してるワケでのナンでもなく「そりゃそーだ、アンタの全部とオレの求めてる全部なんて一緒なハズないよな」という、あくまでも楽天的な観点から吐いてるんだけなんだ。
会話は確かにキャッチボールかもしれんけど、↑のような「自然体での気遣い」においては、愛がアろうがナかろうが、ソノ行為に対しての代償を払うようなギブアンドテイクでハッキリとモノサシで計れるのなら、某ダスキンレディだって月に一回家に来て掃除も洗濯もしてくれるし、とか思うと、アホラシくなるだろ。
そうじゃなくて、自分は全てを捧げながら、相方はベストを尽してくれているんだと信じるコト。これが信頼関係じゃないかな。本気の本質を大きく包み込むモノとして。で、その二人をもっと大きつ包み込む「社会」の中で「妻」や「夫」や「彼氏」や「彼女」の看板を付けるのも良いんだろう。
けど、それはアクマでも外から見れば、の話。それらの看板は目標ではなくて、あくまでも付き合いの中での結果、というか通過点の目印か。抽象的に言うと、二人で歩いて、ホボ同時に二人共が「相方、疲れただろうなぁ、ちょっと休もうか」と手頃なサイズの石を見付けてお互いを座らせて、で、「さて」とまた歩き始める前に「そうそう、記念にこの石に目印でも入れましょうよ」と「結婚」と書く。そんな感じかな。
で、オレと相方、というマクロなんだけど抜本的な関係においては、全然どうでも良いコトのような気がするんよな。信頼関係さえ自然体で依存しながら築きあえれば。
んで、その信頼関係ってのはつまり、一発抜いたダケでワカるハヅがないってコトだし、一発抜かれたダケでクズれるハヅもないし、ってコトかも。おっ。「浮気」にも「セックスは回を重ねる毎に気持ちが良くなる」にも継がりそうだな。
あ、でも、その前に混在について少しだけ。
ソレゾレに(って書くとさいかを引き込むみたいで卑怯かもしれんが)事情があるから、この混在についての言及ってのは意外と難しいかもなぁ。けど、↑のようにオレの場合は本気の本質の核ってのがあって、それが膨張するんだけど、だけど、だけど、だけど、その核ってのはヒトツじゃないんだな。
求める愛のカタチ、というか最終形態が唯一無二のモノでナいからコソ逆に色んな愛のカタチが混在してしまうのだろう。その形がソレゾレにどう変化し膨張していくか、は相方次第だろうし。「社会」というソレラ全体を包む中から見ればソノ看板は「相談相手」かもしれないし「浮気相手」かもしれないし「不倫相手」かもしれないし「彼氏」かもしれない。そして、その膨張の途中で、トアル核を抹消させるコトがゴクゴク自然だと感じれば、その核と脹らみかけた「本気」は、消えてなくなるのだろう。あああ。言い訳ガマシいなぁ、ホント。
うぬぬ。チヨと長いな。
始めにも書いたように、確かに「浮気と本気」という並びについては、もう出なさそうだな。
けど、次の並びがイマイチ見付けられないでいるんだな。「自分の浮気と相手の浮気」で、イカに人間とは自分勝手か、についてからリスタートかけといて、一夫多妻まで話しを持ってってもオモシロそうだし、それか、「1回と1分」で、一発抜くだけのセックスよりもイカに1分を大事に何度も回数を重ねる方が大事かについて語ってみるのもオモシロいだろう。ていうか、1分ぐらいは持つけどね。あくまでも「並び」としての「1分」だからねっ。
でも、「浮気」なんてケースバイケースだろうし、逆に言うと、本質は「本気」なんだろう。もっとツッコめば、一発抜くダケのような射精行為は「浮気」にすら入らないんじゃないか、とも思う。
うん。やっぱり「1回と1分」かな。いや、「1回と1時間」でも良いゾ。でも、「1時間」はチヨとなぁ、と少しダケ謙虚な気持ちになってしまうので、やっぱり「1回と1分」かなぁ。
さいか、任せたっ。 |
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