シュウ [ 5 May 1999 20:23:47 ]
第8回「繰り返しの差異・その2」
11日ぐらいまで期日を延ばすのはオレも賛成。まだまだ燃えきっていない話がゴロゴロしているのに終わらせるのはヤハリ気持ち悪いもんな。せめて燃えるのか燃えないのかの判断ぐらいはある程度してみたいし。
しかし、寝ても覚めても、という感じでココのコトが頭から離れない。車の運転してる時なんかは要注意だ。さいかが居ない、というコトで少し気が楽になった、ってのが正直な気持ちかな。
「わかりにくい」だとか「読みにくい」だとか「おもしろくない」だとか。素直な感想だとは思うんだけど、そゆ人達にとってこのページがナニカのマニュアルにならないコトを祈っていたりする。だってソンなツモリないもの。そんなのは自分で書け、っての。
だからといって日頃抑えている戯言を垂れ流しているとも思われたくはない。他人のフンドシ、ましてや孫(ソン)のフンドシで勝負するようなウスラサムい裏日記とかと同列に並ぶのもちょっとヤだ。猿人の登録上は魂兄弟となっていても、さいかとオレの大事なコトバなわけやし。
さて、まづは前回迄の記述に対して、追記というか追加補充というか、トニカク、ヒッカかったのを少々。
ヒトツは「向上心」について。
これを例えば「金持ちの女喰って貢がせたい」だとか「絶世の美女を喰って羨まれたい」と同じにしてはイケナい。アクマでも生物として、そして主観に限りなく近いと思われる客観視に基づいて、より「優勢」でありたい、と望む気持ちを言っている。つもり。あ、生物として、だと「金持ち」は「優勢」に入ってしまうナあ。じゃ、「財産はあるけど財力のない女」とするか。うん。
もうヒトツは「リスクとリターン」について。
これはらい兄と話しをしていた時に出てきたんだけど、セックス及び射精は「リターン」ではない、というコトはハッキリ言っておきたい。リターンはアクマでも産まれてくる子供であり、その子供(達)と送る日常だ。
ちなみに「リスク」も産まれてくる子供でありその子供(達)と送る日常だったりする。
つまり、「自分と相方」という種を保つキッカケが欲しいかどうかをシッカリ認識し、結果、「欲しくない」と覚悟スルのも本気の本質なんだ。デキるかデキないかはよぉワカラんし考えたくもないけど、とりあえずヌクような、さいか曰くの「己の欲の処理の為のセックス」は相手が何人居ようが同時に何人としようが、結局自慰行為でしかないと思うのだ。
「本気/浮気判別マニュアル」を書いているツモリは無いので内容の詳細についてはトヤカクは言わんけど、第6回にも少しフレたように、その自慰行為を様々なカタチで他人と楽しむコトは否定しない。クドいな。うん。肯定する。けど、コスればデルのはアタリマエでしょ、てのは、念頭にでも片隅にでも良いから、置いとく方が良いんじゃないかな。駄目じゃないけど、認識してないとな、と。伏線かな。ジブンノタメダケノ。
んで、本題に入る前のサイゴのヒッカかりは、(本質の核を保有する)エリアのサイズについて。
確かにさいかの言う通り、自分のそのサイズを固定するのはとても不自然だと思う。けど、オレがモット不自然だと思うのは、相手/相方がそのサイズについて批判/非難するコトだと思うんだ。本家と少しカブるけど、自分の満足を優先してしまうが故に、相手のサイズにまで言及してしまうんだろう。けど、それこそ支配欲以外のナニモノでもナいと思う。
しかもモット性質の悪いのは、ワカリ易い尺度でしかサイズを寸評しないコトか。ナニを買ってくれた、だとか、ナニをオゴってくれた、だとか。
ココでオレの結婚観を話すのもヘンかもしれんが、チとダケ。サンプルとして。
オレは家事一般が嫌いじゃない。時間が無ければ某ダスキンレディとかいうのと契約すれば、月に何度か掃除しに来てくれるというし。メシだって毎日麻婆丼かそば定食で十分。美食家、というワケのワカらんモノ喰いではないので、ウマいと思えばそれで良い。扶養家族で大幅に減税される程給料も貰ってない。ペットもトロで十分だ。
他にも挙げればイロイロあるが、トニカク、射精行為も含めて目に見えるモノは殆ど全て、結婚しなくても得れる。いや、結婚に限らなくても良いや。本気の相方から得れるモノなんて限定出来ない、と言いたんだろう。
男にしても女にしても、ヒョイと簡単に「彼氏」だとか「彼女」だとかの看板を背負って、んでナニするか、ってと、結局相手のサイズの寸評に一喜一憂するダケ。で、気に入らなかったら、次。で、それを「恋愛の自由」とか言うらしい。笑かすな。オレはママゴトが楽しいのは知っているけど、ママゴトしか知らんで、それが全てだと思っているヤツは、なんて、ツマラないだろう、と思う。カワイソウとすら思う。かも。
しかし、確かに自分あっての自分の人生だから、その人生を飾るウエで自分の気に入ったサイズを持つ他人様達を見極めて選んで保持するコトも必要だろう。本気の相方が偶然ピッタリのサイズを持っていたとしても、ソレは時間と共に相方のペースで変化していくモノだから、その部分だけに着目してヤキモキするぐらいなら、ダレからナニを言われようと、コレダツと信じたサイズを持つ人達と自分とを継ぎ止めておきたいと望む気持ちは、純粋な向上心の現れのヒトツだと思う。
あ。「浮気」にも継がりそうな感蝕。ま、いいや。もう少し蠢くママにしとこ。
さて、本題。繰り返しの差異。
導入部として、オレの持つ「経験と学習」について少々。
例えば毎日朝から晩まで鉛筆を削る仕事があったとする。ノルマは、そうだな、1日10本ぐらいにしとくか。
ココに30年来毎日コツコツ10本づつ鉛筆を削ってきた人が居たとする。社会的にはベテランだな。でも、本当にベテランか?
さて、ココに新たに若手が入社してきたとする。ノルマは10本なんだが、この人、10本削っている間に「どうすればもっと早く削れるか。どうすればもっと沢山削れるか。どうすれば綺麗に削れるか」を考え、毎日少しずつだが、削る鉛筆の量は増え、仕上がりも美しくなってきた。結果、10年で前出の人の総量を越えたという。
例え話がヘンかもしらんし、簡単過ぎて自分でも笑ってしまうんだが、言いたいのは、時間さえ垂れ流せば、毎日鉛筆10本づつ削る繰り返しでも30年は経つ。勝手に。前者になくて後者にあったのはナニか。経験に基づく学習の繰り返し、そして、その原動力となったのは純粋な向上心だ。
こんな考え方バカリするから年配者から嫌われたりするんだが、でも、オレはムヤミに「数」を崇拝しない為にも、この考え方は必要だと思っている。
で、急にセックスに持ってくのもサラにヘンかもしらんが、似たようなコトがセックスにも言えると思うんだ。
「1回目」と、ハタしてドコからドコまでを区切れば良いのかスラ少しアヤフヤなトコロはあるが、トニカク、初めてセックスをするのは、ドッチの「繰り返し」の場合でも同じだと思う。
自分は傷つきたくない - 「早いと思われたくない」、「ヘタだと思われたくない」、「小さいと思われたくない」
- という自衛と、自分は誉められたい - 「十分長いと思われたい」、「巧いと思われたい」、「大きいと思われたい」
- そんな虚栄、いや、欺瞞かな、トニカクそれが葛藤して、グチャグチャのママ、ハてる。コスればデルのがアタリマエの射精行為に上記のような葛藤は必要ないが、生殖行為においてはソノ判断が即ち「優劣」にも深くカカワってくるのだから、当然だ。ま、本当はソレは「優劣」でなくて「相性」なんだから、ドウしようもナイんだけど、けど、考えてしまう。1回目。
けど、(こっから先は経験に基づくので人によって違うのは承知の上だが)、回数を重ねる毎に、ダンダンとそのエゴがハゲてくる、とでも言うのか。で、自己欲を貪るコトを減らすのだから、快楽も減るのか、というとまったく逆にドンドン「相方の快楽」が「自分の快楽」にリンクされ、比例するようになってくる。真っ赤に焼けた石を見ただけで触らなくても熱いとワカる感じか。いや、ちと違うなぁ。でも、似てるかなぁ。むぅ。多分挿入しなくてもキスだけで絶頂感がある、てコトを言いたいんだと思うんだけど。
で、それとは別に、いつまで経っても自分のそのエゴがハゲない相手も居たりする。理由は、うーん、信頼関係が築き難い相手だから、かな。いや、ムコウはムコウの「オレ枠」の用意があって、それにオレをハメ込もうとバカリして、それがトテモ居心地悪いから、かな。
セックスにおいても射精自体は気持ち良いんだが、いや「気持ち良い」というよりは「楽しい」の方がシックリとクるか、トニカク、エゴが残っているから、いつまで経っても「快楽」はオレの知っている「快楽」の枠の中に留まってしまうんだ。チト昔まではソレが直接「達成感」になって良い気分だったんだけどな。こういうシメ具合でこういう濡れ具合で、そうそう、そうやって舐めて、うんうん、そうやって口に含んで、って。全部オレの知ってる「枠」の中での「快楽」のルーチン。まるで官能小説読んでるみたいに。
自分の都合だけの不変的快楽を普遍、つまり「相手もそうだ」と捉えるエゴを押せば、そんな「快楽」の方が安心するんだろう。自分の知っている「快楽」ダケを貪ってそれを繰り返す行為。で、既知の枠の中だけで「相手の快楽」をも測ってしまい、ソレをモツて自分の「快楽」とする。
ありゃりゃ。結局「自慰」という結論か?
しかし、学習の共なった経験をシカと積めば、ある程度ダレニデモそれなりに合う「枠」を作るコトが出来て、で、その「枠」は相手にとっては未だ到達していないというか経験していない「枠」だから、相手は「自慰」とは思わないケースも考えられるなぁ。
「男は30からよ、シュウさん」って、そゆコトなんかもな。でも、コスればスむコトなんだったら、別に今から数コナさなくても良いや、ってのも素直な感想だなぁ。他にもイッパイするコトあるしな。暇じゃないのよ、もう少し本気に惰性を持ち込むような鉛筆削りで悦に入りたくないし、変化してたいのよ、ゴメンね、そんなに欲しけりゃビンにでも詰めて送りましょうか、って感じ。
ナンでも簡単に出来る世の中だからコソ、シッカリ腰据えて考えなきゃいかん。穴だって棒だって、掃いて捨てる程あるんだし。考えた上で「数」を繰り返すのなら、それもまた真実なんだろうしな。でも、コト「セックス」に関しては生き急ぐ必要は無いような気がしてる。
だから、オレの考える「繰り返し」は、うん、結局さいか曰くの「自然体で思い遣る」にもツナがるんだろうけど、至極局地的インタラクティブなモノなんだろうな。もう、ものスンゴくパワーの要る作業。ああ、イマになってやっとさいかが「現在の俺にとって生殖行為は一人いれば十分だし、必要ないのよ他には」と言っていた意味の片鱗が見えたような気がするな。
トニカク、ナン人ともそんなインタラクティブな活動出来る程の能力はナいような気もするんだけど、逆に、そゆのってどぅも「ヘタノヨコズキ」にしかマダ見えない、ってのもマタ真実だろうな。勿論それは変化していくんだろうという希望と不安はカカえているんだけれども。
どうだろう。己の「快楽の枠」に囚われたセックスと、相手とのユニーク(特異という意味でなく、One
and Only の意)な「快楽の枠:先着2名様迄有効(含オレ)」の育成過程においてのセックスとが、「繰り返しの差異」のような気がするんだが。
あ、トリイソギ、おかえり、さいか。 |
|