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Magic meets magic
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第三章
アンビリ
こうして考えてみると、私自身が高校生の頃、ウイザードインとの接点と言うのはマジックよりもパソコンゲームの「三国志2」であったり、テーブルトークRPGの「D&D」だったりした事が思い出される。私が頻繁に店に顔を出していた理由の大半は、この2つであったし、あまりマジックの為に顔を出したという記憶が少ない。いや、無いような気もしてくるのだから、余程の事なのだろう。
高校を卒業後、私は本格的にマジシャンになる事を考えていた。仮に卒業時のその目標が非常に不確定だったとしても、少なくとも大学への道は捨てていた。大学をまったく受けなかった訳ではないのだが、もともと進学する意思は1%も無かった。当然のような話だがこういった芸事のようなものに代表される浮き草な商売を選ぶのであれば、親との衝突は避けられない。ところが、私の場合は少々勝手が違った。
身内の話を晒すのは多少気が引けるのだが、両親は私が小学生の頃に離婚している。私自身は母親の下で育てられてきた。当時、私の弟は小学生になったばかりで非常に手間がかかる時期であったというのも重なり、私自身は放任されていた覚えがある。いや、正確に言うのであれば母親自身に面倒を見て上げられる時間が無かったのだろう。私がそれを肌で感じていたのか、私は手の掛からないようにしようという自覚がハッキリとしていた。そのせいか、小学生の頃から、母親を始めとする大人にかまってもらった記憶というのは余りにも少ない。捻り出すように思い出す努力をしなければ、残念な事に皆無と言えてしまう。
今の私を知っている人は、時折私を指して「年齢の割には落ち着いている」と評する事があるのだが、これは少年期から続く親の放任主義・・・正確には主義ではないのだが・・・が生み出した産物ではなかろうかと考えるのである。
私がマジシャンになりたいと親に言った時、両親は共に強く反対することが出来なかった。一番の理由は、「いまさら」なのだろう。両親としてはまっとうな道、ここでは進学を指しているのだが、進んでもらいたかったに違いない。しかし、ここまで放任し、自分の道は自分で選ばせてきたのだから・・・両親の反対がイマイチ弱かった理由はおそらく、その一点である。
私はこの時、両親を説得すべく、一つの提示をしていた。「とりあえず4年、黙って見ていて欲しい。多少、いや多大な迷惑をかけるかもしれないけど、大学に行って遊んでしまったと思うつもりで4年だけ。22歳になったとき、そこでもう一度考えるから」と・・・
この提示は4年後、本当に行動に移されることになるのだが、今の私には知る由も無い。実際に過去を振り返りながら、こうして書いている私自身が今、ちょっとした衝撃を受けている。この話はまだ少し先の話になるので、しばし温めておこう。
私が実際にマジシャンへの道を踏み出す事になる上で、一番大きいことはウイザードインの一員として働くようになってからの事なのだが、これは高校を卒業してから半年ほど経った頃の話である。その前、私はウイザードインでのアルバイト時代を経験している。
この章では、そんなバイト時代に印象に残っている、いや、こうして今私が文章を書いている上でとても大事な出来事について書きとめて行きたいと考えている。
その出来事とは、あるマジックのレクチャーノートとの出遭いである。
その本は、「UNBELIEVABLE」と言われるものだった。
続く・・・
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