Magic meets magic


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第四章
階段の一段目にあったのは笑顔と悔しい思い


  レクチャーノートからさらに時を昔に戻してみる。まだ私がウイザードインのスタッフとして駆け出しの頃、まだまだ若輩者だった頃の思い出話がこの章のテーマになる。そこに登場するのは同世代の凌ぎを削った仲間と、当時こそ雲の上の存在だったすばらしいマジシャン達だ。

 当時、私の周りには多くの夢見る若者がいた。夢、というとあまりにも不明瞭な将来の目標に聞こえるかもしれないが、まだまだ何も見えていなかったし、見えていたとしてもそれは見えているような気がするだけだったに過ぎない。同世代だったT氏にしてもI氏にしても若いなりに考えもしていたとは思う、かくいう私だって自分なりに考え、そして行動していたがそれが正しい事、一番早い道、身につく方法である保証も確証もなかった。あるのは自意識過剰からくる裏付けと根拠の無い自信だけだった。

 当時、17歳だった私は…と書くと簡単な話だが26歳になった私をシゲシゲと見つめると、果たして当時はどんな感じの青年だったのだろうかと首を傾げてしまう。まあ、今も昔も変わらない老け顔であることは周知の事実だが…

 今は昔、西暦1991年12月1日、ウイザードインは初めてのマジックコンベンションの開催を行う事になった。今も活動を続けるEMC(Elite Magicians Club)が主催になって行われる第1回EMCコンベンションと題されたその大会は、それまでに行われていた大会とは一線を画す形となった。まず規模が大きいらしい…ここで「らしい」という表記を使用せざるを得ないのは、私自身のマジック大会への参加が初めてだったということ、また今までにそういった大会を見たことが無いという事、それはウイザードインにしても、他のマジック団体でも同様。だから、ここでの規模・内容云々はあくまでも伝聞にしか過ぎないことだという事をご了承願いたい。

 まず、今までのウイザードインで行われてきた大会とは参加人数・会場規模、どちらにおいてもスケールが違うらしい。そして初めて海外からゲストマジシャンを呼ぶ事になった。それも一挙に3人もという豪快さ。当時のウイザードインはメンバーが時折(大体、年に1回のペースで)ロス・アンジェルスや、ラス・ベガスなどを訪れていた。今回呼ぶ事になったマジシャンは、柳田氏が渡米を通じて自分の目で見て確認したマジシャンらしい。そういえば大会を行う大分前、大会を行う事すら決まっていなかった頃に、柳田氏が渡米後の事務所で、向こう(ロス)で凄いマジシャンにあった、と騒いでいたのを思い出した。今回のマジシャンの中にはそのメンバーが含まれているらしい。どちらにせよ、当時の私にはそんなに大変な騒ぎでもなかった。

 まだマジックを初めて2年弱というところか、国内で手に入れられる情報で充分すぎるほどの刺激を受けていた私に、海外のマジシャンというのは何処か凄さを感じさせない存在だった。とはいえ、すでに国内で販売されている本類(レクチャーノート以外)はアラカタ買い尽くしてしまったのもちょうどこの頃で、たしか海外のレクチャービデオを見始めた頃だろう。ようやく新しい刺激に移ったところだった。

 当時、マジックのビデオを見ていた自分の正直な感想は、日本のマジシャンも海外のマジシャンもそう大したさを感じなかった。まあ、面白いテクニックやマジックを考える人が海外のほうが多いな、というのが何とはない感想だったろうか。いや、正確にいうならば国内のマジックの現状に対してあまりにも無知だったのだろう。この後、私自身はいくつかの団体を通じて日本のマジック界の現状を知り、落胆するのだが…話が横道に逸れてしまったが、少なくとも海外のマジシャンというのは英語でしゃべる人、くらいのイメージしかない。

 今回の海外からのマジシャンは、
Dan Fleshman(ダン・フレッシュマン)、
Curtis Cam(カーティス・カム)、
Steve Fearson(スティーブ・フィアソン)
という3人だった。

 それぞれに前情報というのが幾ばくかでも流れていた。どのマジシャンも当時は無名のマジシャンで、やはり海外で会った柳田氏や、その旅行に同行していたメンバーから得る情報が主たるものだった。そんな前情報の中でも特に印象深かったのはスティーブ・フィアソンの話だったろうか、鮮明に覚えているわけでもないのだが、少しお話したい。

 そもそも柳田氏がスティーブと遭遇したのは海外でのコンベンションに参加した時だったらしい。正確には覚えていないのだが、たしかウイザードインも何か出展していたんじゃないかな。場所は記憶違いが無ければラス・ベガスのはず。

 柳田氏が出展しているお店を回っていたらしいのだが、まあお約束のメンバーがいつものように自分のトコのアイテムをずらりと並べていたらしい。ステージものあり、テーブルマジックあり、様々なものがあるなかで、一角に異質なテーブルがあった。

 そのテーブルは、いくつかの赤いパッケージの商品しかなかったらしい。よく見ればどれも同じ商品、どうやら一種類の商品しかないようだ。パッケージを見ると「Steve Fearson’s Floating Cigarette Routine」と書かれている。タバコの浮揚らしいということは分かる。しかし広いテーブルに僅かな商品。他の商品は全て売れてしまって売れ残っているのだろうか?それとも最初から売る気がないのか。

 男性は椅子に座っていた。暇そうな訳でもなくニコニコとしてこちらを見ている。柳田氏が笑顔で「すいません、こちらでは何を売っているのですか?」と聞くと、その男性は「Floating Cigarette Routineだ」と切り返す。なるほどごもっともな会話だ。見れば誰だってわかる。柳田氏は「どんなものか見せてもらえますか」と返す。すると男性は断る事も無く「OKだ」と言って立ち上がった。よく見ると彼の右耳にはタバコが一本かかっている。

 男性は右耳にかけていたタバコを取ると左手の上にそっと乗せる。そして右手の人差し指の先にタバコをくっつけて浮かし始めた。まあ、この段階では仮に人差し指の先にテープが付いていれば出来そうなものだ。…無論、ついている訳などないのだけれども。

 すると彼は、こんどは空中にタバコを浮かべ始めた。自分の目の前だけでなく、なんと右に左に、上に下にと移動は自由自在なのである。今までの空中に物を浮かすというマジックはどちらかというと一箇所に固定されたように浮遊するものだった。それまでの苦衷を浮遊するという概念を一蹴する豪快な動きは柳田氏の目を翻弄した。

 タバコは自由自在に空中を飛び、最後は彼の口へと飛んでいってくわえられたのだ。

 この現象に柳田氏は驚愕した。今までに見たことのない演技。そう、彼はこのマジックだけで充分の勝算があってコンベンションに参加しており、売り物も全て売り尽くしてしまった後だったのだ。柳田氏は残った商品を全て引き取り、同時に彼を日本に呼ぶ事を決めたという。

 このスティーブ・フィアソンは後に日本で大ブレイクを果たす事になる。通算、2回の来日とNHKでの特番、民放番組への出演など彼はかなり凄い事になってしまうのだが、それはもう少し先の話になる。

 さて、こうして海外からのマジシャンが来る事になって、大会も開かれる。ウイザードインは上を下にの大騒ぎとなった。大会の集客や会場設営、販売する商品は英語版しかないのでそれの翻訳作業と製品化など、まあしっちゃかめっちゃかである。私自身は当時はまだアルバイトだったせいもあり、手伝える時間のみ手伝った。

 この時、言われていたのがコンベンションのコンテストへの出場だった。クロースアップマジック部門に出なさいと柳田氏に言われていた。当時のウイザードインのコンベンションは現在のようなトーナメントによる1対1ではなく、単純に参加者が7人なら7人、連続して演技を行い、それを審査員、たしか海外からのゲストとEMCの代表数名だったろうかが採点して優勝が選ばれていた。今みたいに時間制限もないので、幾つかのマジックを連続してみせるというのが主流となっていた。

 私は当時の無い知恵を絞りに絞ってマジックのルーティンを考えた。今でも残っている私の最初に考えたルーティンである。

 私はまず最初にスポンジうさぎを見せる事にした。スポンジ製の赤いうさぎが手の中から消えたり二つに増えたり、左手から右手に移動したりという古典的アイテムのひとつである。私は、東急ハンズから白いスポンジを買ってきてそれをウサギの形に切り出した。童話「因幡の白ウサギ」をプレゼンテーションに加えたのである。幾つかの現象が起きた後に、赤いウサギは雪の中で白いウサギに生まれ変わって云々という話から、最後は真っ白で大きいスポンジのうさぎになるというものであった。

 次に私が見せたのはコインアセンブリーだった。コインアセンブリーというのは、テーブルに4枚のコインを正方形(4つ角)にならべ、その上に1枚ずつカードをかぶせる。そのカードを弾くと、コインが1枚ずつ一箇所のカードに集まっていくというものだ。これもコインアセンブリにおける基本的な演目で、私はこのマジックに家からお金を盗んでいく泥棒の話を交えて演じた。最後はねずみ小僧が登場して、全ての家にコインを戻してしまうというリターンコインアセンブリーの演技を加えた。

 最後に見せたのがカードマジックだった。当時見ていたマジックのレクチャービデオの中で一番好きだったDavid Williamson(デビッド・ウイリアムソン)のカードマジックを演じた。デビッド・ウイリアムソンは日本のマジシャンにはロッキーラクーンというアイテムで有名なマジシャンである。コメディ系のマジシャンとしては当時、かなりの人気を博していた。彼が出していたレクチャービデオ「DAVE」と「DAVE2」は私の見たことのあるレクチャービデオの中でも10本の指に入る面白いつくりのビデオだ。教えるという前提だけでなく楽しいユーモラスな作りになっている。

 そのデビットの作品の中でRestore Cardというものがある。私はこの頃から数年間に渡って、このマジックを非常に多く演じていた。おそらく当時の私のマジックを見たことのある多くの人が目撃していたと思う。

 観客に1枚のカードを選んでもらい、覚えてもらったらデックの中に戻してもらう。私は散々カードを混ぜた後にそのカードを当てるためにデックの中から1枚のカードを取り出すが、残念な事に間違ってしまう。マジシャンにとってカード当ての失敗は致命傷だといって、私はその間違えたカードを破ってしまいます。そしてデックの中から観客が選んだカードを見て取り出します。

 しかし、破ったカードを観客に抑えておいてもらいその上で観客のカードをふると、なんと私の持っているカードは破ってしまったはずのカードに変わってしまい、観客が抑えておいたカードは、観客が選んだカードに変化してしまうのである。

 私はここで、再び敗れたカードを観客に抑えておいてもらい、その手の上に帽子をかぶせて、帽子の中にボンド(糊)を忍ばせます。そして3秒ほどたつと観客が抑えていた破れたカードは繋がって、もとの1枚のカードになってしまうのです。しかも折れているカードは、マジシャンの手の中で息をかけるとシワもなくなってしまい、カードは元通りになってしまいます。

 このマジックが当時の私のブームでありメインマジックで何度も何度も練習して、しかも演じまくった。実際にはこのマジックには準備が必要で、私のポケットの中には必ずといっていいほどこのマジックを行うための準備が整っていたものである。

 こうして私は3つのマジックを演じたのだが、実はこのマジックが現在も私のマジックに強い影響を残しているのである。

結果と共に、私に大きな影響を与えたEMCコンベンション、
それは私のマジシャンとしての階段の始まりであり、
そこには優しい笑顔と、悔しい思い出が混在しているのである。

続く・・・


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