運命の12月1日、渋谷・東急ホテルのコンベンションフロア-は朝から大混雑となった。ウイザードイン初のコンベンションということもあり会場は多くのプロ・アママジシャンでごったがえした。当時のウイザードインはどちらかというとアマチュアマジシャンから支持されていた傾向があったような印象を個人的に受ける。かくいう私もアマチュアマジシャンとプロマジシャンの中間、しかもアマチュアよりだったのでまあ初の大会参加を楽しんでいた。
大会は、アメリカからのゲストマジシャンのパフォーマンスやレクチャーを中心に行われ、その合間を縫ってマジック大会が行われた、部門はステージ部門とクロースアップ部門。記憶があまりにも不明瞭で申し訳ないのだが、ステージ部門には6人くらい、クロースアップ部門には5人くらい出ていたような記憶がある。
最近のEMCが展開しているマジックの大会に顔を出されている方は、マジックの大会などのスピード感が慣れているかと思う。
ここ数年、EMCは時間を短くして1対1という今までにはない斬新なマジック大会を提案してきた。一人の持ち時間を5分程度にし、全員の中から一番良い人を選ぶのではなく、1対1のトーナメント方式にした。この方式は1993年に行われた第2回EMCコンベンションから採用されて今日に至っている。当時は30名以上が参加していたにも関わらず、全員を一回戦からトーナメントにしていた。とはいえ2日連続で朝から晩までの大規模なコンベンションだったからこそ可能だったのだろう。今思うとかなり豪快なトーナメントだった。出場していたメンバーは覚えているが今ではかなり入れ替わっているのか…ちなみにこの大会で秋元正は準優勝している。こんな頃から実力を発揮しているとはさすがだな、と資料を見ながらしきりに思う。
話がそれた
今は、一つ一つの演技が5分という制約された時間なので、濃密になると同時に演技者が次々と入れ替わるのでテンポが良い。観客にとっては見やすい環境ともいえる。このシステムは非常に面白いと思う。考案した柳田氏の着眼点はなんとも凄いものだ。ちなみにアイデアソースが極真空手の空手オープントーナメントである事を知っている方はそんなに多くはないだろう。逆に93年以前はこのスタイルではなく、参加者がマジックを順番に行って、それを審査するという形だった。それでも着実に変化を遂げていたのだが。
本大会では審査員が10名程いた。柳田氏やゲストマジシャンだったように覚えている。その他に観客にも予備投票を行ってもらい、その得票も参考にして各部門賞と総合チャンピオンを決定するというスタイルだった。翌年は審査員は置かずに観客からの得票だけで選ぶスタイルになる。この辺もウイザードインの今にも残る基本姿勢がかなり早い段階で息づいていた事を伺わせるに充分の出来事ではなかろうか。
もう一つは演技時間の制限が存在していなかった。いや、まったく存在していない訳ではなかろうが、今のような短時間という設定はなかった。だから演技時間を決めるのもどちらかというと出演者に委ねられていたというところだろうか。
さて、当の大会。私の演技はどうだったかというと…実はまったく覚えていない。いや、演技をしたという事くらいは覚えているものの、どんな感じだったか、どんな風に思われたのか等、演技中の事は何一つ覚えていないのだ。
本大会、マジックコンテストは100名以上の観客がいたのだが、私自身が100人もの観客を前にして演技をした事が初めてだったのだ。兎にも角にも酷く緊張した事だけは覚えている。練習していたセリフなどはすべて何処か遠い次元の彼方へ飛び去っていき、ただひたすら手順を追っていたような記憶だけが残っている。たしか上下が黒のスーツで白いワイシャツでネクタイも締めずに中の半袖のTシャツを無造作に見せていたかな。それに黒い帽子という出で立ち…
なんだ今とあまり変わりないか。
演技は、まあどちらにせよ賞にからむ事はなかった。仕方が無いといえば仕方が無い。私自身はまだまだマジックを始めて一年そこいら。結果よりもまずは参加してナンボの部分が強かったのも事実だった。
演技が終わった後、表彰式の最中の事だがゲストマジシャンの一人、カーティスカムが私のところに近づいてきた。 「君の演技はまだまだこれから伸びていくと思う。賞がとれなかったのは残念だけど、そんなに気にする必要は無い。」と声をかけてくれたのだった。
私は率直に彼に意見求めた、私の演技はどうでしたか?と。すると彼は、まるで子供を見るかのような優しい笑顔を見せながらこう言った。
「帽子の使い方は良いアイデアだった。もっと演出を修正すれば良くなっていくと思うよ。ただ、まだまだテクニックが充分じゃないから、もっと練習が必要だろう」
私自身は、この帽子のアイデアを誉めてもらえた事に酷く救われた覚えがある。たしかに演技自体は誉められるものではないのだが、何か一点でも認められたことは救いの一本の雲の糸のような感じだ。この点は鮮明に今なお記憶している。
結局、コンテストの方はステージ部門が西内さん、クロースアップ部門は石井裕さん、総合優勝は日比野雅弘さんという結果になった。中でも石井氏がクロースアップ部門の部門賞を受賞したのが私にとってはショッキングな出来事だった。
石井氏は当時、ウイザードインで会っていたマジシャンの中でも、比較的仲の良い友人だった。地方からプロマジシャンになるために東京に出てきて、地道に練習していた。ウイザードインのメンバーとかそういう区分けでなく、同じプロを目指す人として頑張っていたメンバーの一人である。実際のマジック歴は私よりも長かったのだが、ほぼ同時期に同じような内容を習っていたせいもあって、私の中ではライバルというか同世代のイメージが強かった。だからこそ、彼の受賞はかなりの衝撃を受けた。本音から言うと何か一歩置かれていったイメージが強い。
今でこそ、すっかり若年寄りのようになっているが、昔はそりゃ若い頃もあったのである。血気盛んという感じで。負けるのがとても悔しかった。まあ負けず嫌いは今も何も変わっていないのだが。
だからこそ、自分と同世代の石井氏の受賞は、とんでもなく悔しかった。正直な話、大会が終わった後、もし許されるのであれば逃げてしまいたいくらい悔しかった。これは今だからこそ言える話だろう。それでも大会が終わった後、私は3次会まで同席した。
3次会の席だったか、盛り上がる石井氏とその周りのメンバーの近くで飲んでいた私に柳田氏がこう言った。
「悔しいかもしれないが、今日は彼が主役なんだから」
私の方を叩きながら、笑顔を添えて。そう、この笑顔はカーティス・カムのそれに相通ずるものがあった。 いま、こうして書きながら思う事なのだが、物事には運不運や順序がある。ただそれは弱肉強食の芸事の世界では、在りそうで無い話でもあり、無さそうで在る話でもある。ただ負けたという事実は絶対に無くなる事はない。
それでも、その悔しさをかみ締める事をしなければ次に進めることは出来ないのだ。少なくとも、一番辛い場所から逃げ出して一人悔しい思いをするのは、悔しいように見えて、一番辛い場所からは逃げ出してしまっている分だけ現実が直視できていないのだろう。だからこそ、私は一番辛い二次会、三次会の場所に顔を出した。
言い方は悪いのだが「今日のところは譲ってやる」くらいの気持ちなのだ。それはそれこそ唇を噛む思いだったのだが、それでもその場から逃げ出してはいけないことを心が知っていた。
カーティスカムや柳田氏の笑顔は、その仕打ち…いや、仕打ちという表現は適切ではない。その辛い現状から逃げ出さない私への激励だったのではなかろうか?彼らの笑顔は今も覚えている。でもそれは、私を喜ばせるものではなかったに違いない。あくまでも、そこで満足しないで次のステップに進みなさい。今日はそのための試練なのだから…そういう気持ちが含まれていたのだろう。
私に大きな影響を与えた大会、そこには私のマジシャンとしての階段の始まりがあり、優しい笑顔と、悔しい思い出が混在しているのである。