ロスアンジェルスから帰宅した柳田氏が、お約束のように行う行事といえば海外みやげ話である。毎回、ウイザードインのメンバーとお客さんの中で希望する人など大所帯でアメリカ旅行をするウイザードインの海外ツアーは、不思議と面白い話も多い。それは柳田氏の巧みな話術が何気ない出来事を的確に拾い上げて、面白い話のように演出してくれるからこそ実現しているのかもしれないが…
その時の旅行帰りも同じように話がなされていた。
渋谷の事務所に顔を出すと、柳田さんを中央に配し、メンバーが集まっていた。どうやらアメリカ話はすでに始まっていたようなのだが、どうも勝手が違う。柳田氏と緒川君…記憶が定かではないのは恥ずかしい限りだ、秋元氏かもしれない…が4枚のエースと4枚のキングを持ったままアメリカ話に盛り上がっている。話をする時くらいカードはいらないだろう。
しかし、どうやら勝手が違うようだ。彼らのアメリカ話は一人のマジシャンの話題に集中していた。 柳田氏がロスアンジェルスに滞在中の話、ほぼ例外なくロスの夜はマジックキャッスルに常駐するのがならわしである。その日も柳田氏は同行者と共にマジックキャッスルに行っていた。
そこで、知人のマジシャンを通じて柳田氏は一人のマジシャンを紹介してもらう事になる。
それがアルフォンソだった。
彼と柳田氏はいくつかのマジックを見せ合う事でコミュニケーションを図っていたのだが、その中でアルフォンソは強烈な印象を柳田氏に残した。彼はテーブルの上ではなく、立って会話をしているその場で、しゃがんでマジックを見せ始めた。手には4枚のキングと4枚のエースを持っている。彼はそのうち4枚のエースを無造作に床に置くと、4枚のキングを見せる。
しかし、一度裏返してから再び表を見せると、手にもっていた4枚のキングはすでに4枚のエースに変わっているのだ。そして床に置かれた4枚のカードを表にすると、それは4枚のキングに変わっていた。
もともと、エース&キングはポールハリスのリセットを機にウイザードインで人気のある演目の一つだった。当時の段階でも柳田氏はいくつものエース&キングのマジックを考案していた。他にも国内外の多くのマジシャンが研究史作品を発表しており、かなり深いところまで研究されている題材だった。
しかし、アルフォンソのその演技を柳田氏ははじめて見た際に、まったくそのやり方が想像できなかったと鼻息も荒く私に告げた。 マジックのやり方は複雑に絡み合ったパズルみたいなもの。平面のパズルじゃなくて3次元的な立体パズルに近い。マジシャンがある程度のレベルまで向上すると、マジックのやり方が大半分かるというのは、現象を答えとしたら、マジックを見せる技法というピースと、その技法を行った際に起こす事のできる現象という2つのピースを大量に知識として保有すると共に、目の前で起きた現象を起こすために必要な技術を知識から掘り起こせるかどうかにかかっている。その掘り起こしは、単純に技術を知っているというだけでなく、技術に精通し、多面的に見ることが出来るところまで成熟しなければ到底不可能なことなのだ、しかも、これで得られる答えは、あくまでも同じ現象を起こせる方法であって、目の前で起きた現象のやり方ではないのだ。2という答えを見せられたときに、自分なら1+1で導き出すが、目の前の別の人は2×1で出しているかもしれない。だから、相手がどんな方法でやったのかを具体的に導きだすためには、さらに付加価値的な解析能力を兼ね備えなければいけない。これは経験則だったり、さらなる技術の高レベルの認識だったりする。柳田氏にそれがあるかというのはあまりにも愚問だが、柳田氏が「分からない」という言葉を発したのは、後にも先にもこの時だけだったような気がする。
今思えば貴重な体験に違いない。アルフォンソは後に柳田氏と意気投合し、来日を果たす。1992年12月の大会だった。今やウイザードインのコンベンションの代名詞ともなっているマジックキャッスルスカウトキャラバンの第一回目のゲストとして彼が選ばれたのだった。
当時、ウイザードインは六本木にショースペースを展開していた。大会はそこで行われた。EMCコンベンション同様に、全員が見せて評価されるというスタイルをとったこの大会は、優勝者をマジックキャッスルのメンバーに推薦していくという若手への登竜門的なスタイルをコンセプトに展開された。ちなみに第一回の優勝者は、今も大会に参加し、コミカルで独特なキャラクターで人気のある古性ゆたか氏だった。
書くまでもないが、私も参加している。結果は・・・書くほどの事でもないだろう。
この大会のクライマックスは、アルフォンソによるガラショーだった。狭い店内に50名近い観客を迎えての彼のショーは今でも私の記憶の中に色濃く残っている。おそらく私が今まで見たガラショーの中でも「伝説」として称えるべきショーだったと思う。あのショーを見た人たちが今、どれくらいマジックに従事しているかは定かではないが、私はあのショーを間近で見れたことは幸運だったに違いない。
全てを詳細に記すことは難しいので、中でも印象に残っているものをご紹介しよう。
アルフォンソは、左右に一人ずつ観客に立ってもらった。それまで演技していたデックを片方の観客に渡し、「そのデックの中から自分の好きな数字を一つ決めて、その数字のカードを4枚取り出してくれ」と伝えた。観客はエースを選んだ。次に、残ったカードをもう一方の観客に渡して、同様に4枚のカードを取り出させた、その観客はジャックを選んだ。
残ったデックはそのまま観客の手によってテーブルにおかれる。そしてアルフォンソはまず4枚のジャックを受け取った。そして4枚のジャックをジャケットの胸ポケット、左ポケット、右ポケット、そしてズボンの右ポケットに入れた。そして彼は、もう一方の客から4枚のエースを受け取った。
奇跡はその瞬間に起こった
彼が1回指を鳴らすと、彼の手元にあった4枚のエースは4枚のジャックに変わっていた。そして4枚のジャックを投げ捨て、両手でそれぞれジャックが入っていたポケットに手を入れてそこから4枚のエースを取り出したのだ。
場内はどよめきと大歓声に包まれた この現象は、後に私の手によって改案されて「Shadow」という名前でレクチャーノートに記した。しかしレクチャーノートのそれは、彼が行った現象の簡易版でしかなく、彼の手順通りに行う事は出来ない。しかし、私のクリエイティブな部分を刺激したあまりにも影響力の強い作品だった。
アルフォンソはセンセーショナルなインパクトを残して帰国する事になったのだが、この帰国の際に東京から成田までを送っていったのが私だった。この成田エクスプレスの中でアルフォンソと様々な会話を交わした。その中で彼のプロフェッショナルに対する考え方をまざまざと見せ付けられた。
彼は、原則的に自分のマジックを一人に対して一度しか見せないというスタイルを持っている。つまり同じマジックを2度、一人の人に見せないように心がけているというのだ。しかし、マジックキャッスルなどのレギュラーで見せるマジックに関してはそのスタイルは難しいが、それ以外ではなるべくそうしてるといった。これはマジックの持つインパクトを最大限生かすと共に、自分の演技者としての価値を維持する大事な要素と教えてくれた。
今、こうして書きながら思い出してみると、彼の演じたマジックの中で印象に残っているものは、そのどれもが生涯を通じて、まだ一度しか見ていない。言われて納得である。ただ、これは全てに通じる事ではない、マジシャンとして、演技者としての底の深さをみせるための必殺技ではないかと今では考えている。かくいう私も今では回数は見せないものの必殺技のいくつかのストックをしている。
また技術的な指南をいくつか受けた。特にパームに関しては、この1時間数十分の中で彼から得た知識は今でも私のパーム技術の礎になっている。彼のマジックには効率的で効果的なパームが垣間見れるのだが、これに触れることが出来たのは、私にとって非常に有意義な出来事だった。
余談ではあるが、この後に私が発表した数々の作品や、私が好んで演じる演目の大半はパームを使用する。これはアルフォンソの影響を大きく受けている今でも残る証拠である。
こうしてアルフォンソは私に影響を与えてアメリカに帰っていった。 この後、アルフォンソはもう一度来日する。そしてその後、私にもう一つの衝撃を与えてくれるのだった。
92年12月のある日の彼との初めての出会い、
少なくともその時、私はまだまだアマチュアだった。