Magic meets magic


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 そもそも、私がウイザードインに出向くようになったきっかけは当時、渋谷にある東急東横店のおもちゃ売り場にあるマジックコーナーで、アルバイトをしていたT氏に出会ったからであり、彼なしに私のマジシャンとしての人生はスタートしなかっただろう。  このT氏と当時仲良かったメンバーに緒川集人・・・当時の「少年」がいた。

 最初にどういう風に出会ったかはよく覚えていないのだが、なんて事はない出会いだったのだろう、まったく印象に残っていない。当時、私も少年も高校生だったと思う。遊んだり一緒にマジックの勉強をするようになったのは、私が高校を卒業した頃からだったと思う。少年は私が来るよりももっと前からウイザードインに通っており、キャリアにしても、実力にしても当時から差はあった。今思うと、その差は実力以上にキャリアからくる知識分だったに違いない。ようはどっちも下手クソだったのだ。けど、一つでも多くのマジックを知っている事が、上手いと錯覚していた頃なのである。

 少年とのマジックを通じた付き合いは、当時他には同年代でマジシャンを目指す人が少なかったせいもあって、多岐に渡った。私は三宿のマンションに親と住んでいたが、6畳程度の自分の部屋があって、ウイザードインが終わると、少年がやってきてマジックの話に明け暮れた。私が集めていたビデオを見たり、当時珍しくビデオカメラなどを持っている身分だったので、実際にマジックがどう見えているかをチェックするためにビデオに撮影して確認していたりした。

 当時のマジックビデオの影響か後ろの壁にカーテンで幕をつくり簡易的なスタジオのようにして撮影している。今でもそのビデオは私の家にあり見ることができるのだが、高校生だった少年がTシャツで一生懸命、コインアセンブリーやウイングドシルバーといったベーシックなコインマジックを練習している姿を見ることが出きる。

 今思うと、この頃からコインマジックが好きだったんだなあ、と思う。

 その後も少年との付き合いは長く続くのだが、その中で少しずつ確実に彼と私の間には差が開いていく。それは彼の特長とも言える長所が遠因にあった。

 私と少年の師である柳田氏は彼の事を「サイボーグ」と称する。私も至極同感するポイントだ。彼は基本的に言われた事をしっかりとやるのである。またマジックが凄く好きなのだろう。技術を習得する時は自分が納得するまで何度でも何度でも繰り返す。一緒にいて「よく飽きないなあ」と感心するぐらいだ。またそんな事はできなそうだなぁと思う技法も何らかしかの形に仕上げてしまう。

 今の彼の技法に触れる機会がある人たちは、「よくそんな事できますね」と感嘆するのだが、これは彼が10代に築き上げた技法の鍛錬の繰り返しが産み出した物なのだ。何にでも手を出していたが、そのどれもがやってみる程度ではなく、身に付けるまで繰り返していた。結果として今は使わなくなった技法の方が多くあるはずなのだが、それでもその時に覚えた技法は確実に彼の技術の基盤となったのだ。

  彼との関係は友人であるとともに、私にとっては良い意味でライバルであり敵であった。

 まだウイザードインに将棋が根付きはじめる前。彼と私はほぼ同時期に将棋を覚え始めた。最初は二人とも戦法も知らないので適当に戦っていた。小学生の頃に少しかじっていた分で私の方に分が良かったのだが、彼が四間飛車を覚えたところで状況が一転する。さすがに戦法というのはよく考えられていて、どんなに下手でも戦形を作った分だけ有利になるもので、私はとたんに劣勢を強いられた。

 こうなると悔しくて仕方が無いのだが、どうすれば勝てるかなどはしらないので、とにかく試行錯誤を繰り返した。一番多かったのは彼の組む手順とまったく同じ手順で組んでいくという方法だった。つまり相四間飛車みたいなものだ。そんな中、ここら辺かな?と思う部分でこちらから手を変えていく。実際にはそれでも勝てない事の方だったのだが、それを通じて私自身も四間飛車を覚えるようになった。

 将棋に関しては今に至るまで抜きつ抜かれつで成長してきたのではないかな、と思う。今日現在は私が初段で彼は一級じゃなかったかな。けどそれは多忙なために道場に通えないからであり、実力的にはもう並ばれているか抜かれているだろう。直接的な対戦だとケレン味が強く、終盤に無理やりねじ伏せる性質の私が何とか勝ちを拾っているものの、まあまったく勝てなくなってしまうのも時間の問題かな、と思う。

 マジックでも彼の影響を大きく受けている。

 今や彼のステージマジックは誰もが認めるところになったが、そのマジックの原点はウォンドだった。初めてみたのは六本木だったと思う。彼の代表作ともいえる「Take on me」にのせて見せるウォンドは私にとっても印象深い。それまでも彼はステージマジックを見せていたのだが、新しいルーティンとして導入したウォンドを回転させて消したり出したりするパートは私を大いに刺激した。

 カウンターの中で彼の演技を見ていたら、自然と手が動き始めた。あれから今でも私がステージマジックを練習し始める起爆はいつも彼だったと思う。カウンターの中でウォンドをいじっている私を柳田氏が見ながら「斎木は影響を受けやすいなあ」と苦笑いしていたが、返す言葉もない。私にとって彼はそういう存在だったのだ。

 気が付けばあれから10年以上の歳月が経っていた。

 マジックの大会でも何度か対戦し、現状において私は彼に勝ったことが一度もない。まあ、このまま負けっぱなしでいるつもりもないのだが、なかなかどうして私がのんびりしている間に彼は大分先に進んでしまっているようだ、これからも彼がいる限り、私は少年をライバルとし、成長していくのだろうと思う。

 少年が緒川集人という芸名になり、最初は誰もが違和感を覚えていたのだが、気が付けば誰もが彼の事を集人と呼ぶようになった。もちろん、私だって彼をそう呼んでいるのだが、油断するとつい「少年」と呼びそうになる。それは昔を懐かしむわけでもなく、私にとって彼はいつまでも「少年」であり私のよきライバルだからだろう。私にとっては、彼を尊敬をこめて「少年」と呼ぶのだ。

 気が付けば10年。「少年」は「集人」になり、今度は次の世代の「少年」達に夢を与える立場になっていた。

続く・・・

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