Magic meets magic


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 初めて見た時は、ああ面白いなあという印象と、しっかし高いなあという印象だった。とりたてて新鮮な仕掛けがあるわけでもなく、昔ながらの方法をそのままダウンサイズさせただけのものだった。缶コーラの胴体切断と呼ばれるその商品は説明書も何もない、小さな道具だった。中には本物の缶コーラ350mlがちょうど入る作りになっている。現象はいたって簡単、箱の中にいれた缶コーラがイリュージョンのような胴体切断のマジックのように刃をいれて3分割にしてしまう。まさしくイリュージョンをそのままテーブルへ、という物だった。

 たしかに面白い現象なのだが、ぶっちゃけてしまうと高すぎた。現象の面白さ、ちょっとしたパロディ性がその時のその商品の金額に合っていなかったのだ。案の定、ウイザードインのショーウインドウに飾っている間、その商品は誰の目にも触れることなく放置されていた。

 ちょうどその頃、ウイザードインは久し振り大規模なコンベンションを企画していた。第二回EMCコンベンションは初めてトーナメント方式で行うマジックコンテストを採用した記念すべきトーナメントである。クロースアップオープントーナメントという触れ込みでかなりの人数が参加した。かくいう私も参加したが見事一回戦で玉砕していた。

 当時の私は、まだまだ若輩者であった。決して大会でも結果を残せる側ではなく、どちらかというとその他大勢の一人であった。まあ、今もあまり変わっていない。

 大会規模も並木橋の会館を2日間、宿泊施設も込みで使用するという規模の大きいものであった。現在、行われているスカウトキャラバンとはコンセプトが異なり、どちらかというとマジック界で昔からあるコンベンションスタイルであった。

 この大会のゲストはアメリカから、チャックフェインが来ていた。いや、他にも来ていたはずだ。しかし、どうもチャックのための大会という印象が強い。知る人ぞ知るチャックフェインは、アメリカを代表する偉大なるマジシャンの一人。近代マジックに多大な影響を与えたダイ・バーノンの弟子の一人として有名である。

 かくいうチャック自信も多くのマジシャンに影響を与えた人である。私個人の意見として言うのであれば「リビング」レジェンドと言うべきマジシャンである。そんなチャックの来ていたEMCコンベンションで私は売り子をしていた。一般向けではなくマジシャン、もしくは愛好家をターゲットとしたコンベンションではアイテムブースはとても大事なイベントである。私が担当していたのは海外から入って来た商品だった。海外からの商品は一品物が多く、かつ種類が多い。メインであるウイザードインの商品は小林さんやその他のメインが担当しつつ、私は数で勝負という訳である。実際には人気のある商品は大会に前に既に売れてしまっているケースが多い。大会に出てくる商品は、売れ残った商品と大会用に残しておいた商品だ。

 あの胴体切断は他よりも多少大きく目立つので、よく客の目にとまっていた。目に止まれば実演して見せなきゃいけないのは義務と責任である。よく覚えていないのだが大会が終わるまで何回演技しただろうか、大会が終わるまでという事は、結局この商品は売れなかったのだ。

  ・・・さて?

  ある運命的な出会いという物はしっかりと覚えているべきだ。ましてやこのように文章にするのであれば、それはそれは素晴らしいストーリーを覚えているはずなのだが、まったく覚えていない。 覚えているのは、買ったのは給料から前借りだった、という事。しかし、どう考えても給料前借りして、という程素晴らしい道具だとは思わなかったのだが、ましてや何万もする高価な道具だ。未だにどうして買ったのかはよく覚えていない。柳田氏に強く進められた記憶はあるのだが。 まあ、運命の出会いはたまにはそんな素っ気無いものでもある。

  この頃、1990年代の最初の頃。まだ高校を卒業してからすぐのころだ。10代。私は本当にマジック下手だったのだろう。大会では良い結果を残していなかった。初めて参加した第一回EMCコンベンションでは選外。ほぼ同期だったI氏はそのとき、クロースアップ部門の優勝をしている。その後、六本木で行われた第一回マジックキャッスルスカウトキャラバンでも見事に選外だった。ここまでは普通のコンテストスタイル。皆が演じて一番良い人を選ぶというもの。

 柳田氏は今でも思い出したように笑い話にするが、当時の私がコンテストで見せた演技に「白いうさぎ」というものがある。その頃はスポンジうさぎをコンテストでやっていた事もあったのだ。今の私を知る人にとって、まったく想像が出来ないかもしれないが。

 初のトーナメント制となった、第2回EMCコンベンションでは一回戦は、戦前楽勝で一回戦は勝てるだろうと言われていたのに惨敗。その時の優勝者は摩耶氏(当時は本名の栃木の名前で出ていたかと思う)だった。

 まったくいいところのない私に転機が訪れるのは、その後の北千住で行われた第2回マジックキャッスルスカウトキャラバンだった。 「斎木、栃木に勝ちたいか?」 柳田氏のその一言が、始まりとなった。

続く・・・

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