2000年2月13日(日)
Vol.652 青い空の下
私が高校生から20代前半・・・今の相方と付き合う前になるんだけど、フィリピンパブによく通っていたのは古くからここで私の日常を垣間見てきた人ならよく知っているはず。
本来であれば、それは30代を過ぎた頃に覚える遊びと言われているクラブやパブでの夜遊びは、実際には早く覚えていたほうが良い事も多い、別に覚えるというか卒業できたに越した事はない。たぶん遅めの火遊びなんかよりもずっとタチがいいんじゃないかな。40歳頃に熱中してしまって寝食を食いつぶしてしまうという情けない話はよくよく目にする。
とはいえ、どんな世代でも熱くなってしまうのがフィリピンパブの不思議な魅力で、それはおそらく彼女たちのとびぬけて明るい笑顔が、日本人の心にフィットしてしまうからだろう。
だいたい、日本人の女の子のいる店はどうも好きになれん、なんか彼女たちには何処かで男の好き嫌いを判別したりするし、心のソコからその場を楽しんでいない。まあフィリピンの彼女たちも楽しんでいるわけではないのだが、そぶりは基本的に見せない。その点で彼女たちのほうが日本人のそれ以上にビジネスライクとも言えるかな。 まあ、そのビジネスに騙されて入れあげる男が多いわけだ。
高校生の頃、私はモテた。いやモテたといってもフィリピンのお姉さんがたにモテた。話をきくと向こうのアイドルに瓜二つらしい、前から東南アジアンフェイスだった私だが、よもやこんなところでフィリピンの私に出会うとは。写真も見たけどよく似ていた。
高校生の頃、私は貧乏だった。いや、高校生の割には貧乏じゃなかったのかもしれないけど、少なくとも夜な夜なフィリピンパブで遊べるほどじゃなかった。どちらかというと夜は西麻布とかで遊んでいて、深夜になるとお姉さん達に電話で呼び出されたり、電話したりして、彼女たちの店が終わる頃に待ち合わせする。行く場所もなかったので、大抵は芋洗坂にあった無国籍料理屋で食事しながら朝までダベっていた。
学校とよくも両立していたなぁと思ったんだけど、かなりハイペースで彼女たちと遊んでいた。話す内容はもっぱら愚痴が多かった。
中でもナディアという女性とはヨク遊んでいた。
彼女は国に二人の子供がいて、旦那さん持ち。両祖父母も健在で、彼女の稼いだ日本円が一家の生計を支えていた。一ヶ月に稼げるお金の大半は国に送金して、当のナディア本人は一ヶ月に3万とか、そのくらいしか使わないで生活していた。六本木でもトップクラスの人気ホステスとは思えない生活の仕方だった。好きな食べ物が餃子、なんていうのも、きっとお金がないから作った彼女の方便のようにも思っていた。
いつもの料理屋で、話していた時のこと、テーブルの上にはいつもの餃子。
彼女は子供の写真を見せてくれた。
二人の子供を抱えていた彼女はすすけた白いTシャツとGパンという格好で笑っていた。六本木という町で華美に装った町で綺麗な洋服を着飾った彼女、店で満面の笑顔を保っている彼女が素敵だと思っていたけど、何もなさそうな田舎町で、売り物といえば雲ひとつない青い空、そんな写真を見ながら思わずつぶやいてしまった。
「ナディアは、こっちの方が楽しそうだね」
私はひどく後悔した。彼女は泣きそうな笑顔を見せて、言われなれているかのように「そんなことないよ、この街も楽しいよ、騒がしいし、お客さんいい人一杯だし、愚痴を聞いてくれる人もいるし」と返した。
「でも…子供たちには会いたいね」
そういうと、彼女はうつむいてしまった。
ナディアはその後、六本木から別の街の、別の店に移ってしまった。もともと六本木が拠点だったせいもあって、私は彼女と出会うチャンスがめっきり減ってしまった。次にあったのは数年後の話、再びであったときの彼女は大分やつれていた。
日本で出会った彼氏にひどく苛められていたみたいだ。いつもの店に来た彼女は、今までに見たことがないくらいに疲弊していた。
「帰りなよ、もう充分頑張ったんだからさ」
いつもの店で、水餃子を前にして彼女はボロボロと泣き始めた。誰も言ってくれない一言を私に言われて、彼女の感情のタガは一気に崩れ始めた。
「帰りたい、子供たちに会いたい」
彼女の口から発せられる言葉は、それだけだった。タガログ語で何度も何度も、彼女は言葉を繰り返していた。
二ヵ月後、彼女の友人から、彼女がお店の金を持ってを逃げてしまった話を聞いた。
六本木に巣食っていたあの頃、そんな話は山のようにあったけれども、ナディアの事だけは印象に残っている。
2000年2月14日(月)
Vol.653 タイダルウェーブ
朝も早くから仕事仕事々々々々。どこまで続くか分からない無限打合せループという感じか。何が困るといえば、一つの打合せが長くなって次の打合せに間に合わなくなる事。今日は1回やってしまった。
もっと困るのは中途半端に時間があまって次の打合せまで手持ちぶたさんになる事。これも今日は1回あった。
忙しいのって、もともと自分の中の日常として受け入れる体制・・・この場合は耐性かな。がある。昔、サラリーマンをしていた頃、営業だった私は尋常ならざる数の会社を担当していた。今、考えるとよくもまああんな数のクライアントを担当していたものだと自分でも感心する。
自分に与えられた労働時間ていうのは極端な話24時間なんだ。睡眠時間をどう取るかまで会社は命令しない。ただ、仕事ができなければ睡眠時間はおのずと、というのは会社から与えられる無言の圧迫でもあった。
それはいいんだが、お客さんとの接する時間には限度がある。私が24時間働いていても、相手はそんなに働いていない。一番少ない人は9時間そこそこなのだ、その9時間に、相手に接する時間を埋めていけば、客の数が増えれば増えるほど実作業は、その外に追いやられていく。
9時から6時まで、打合せに使用されれば、そこで生まれた雑務をこなすのは6時から9時までになる。それは埋められてしまった太陽の出ている時間に比例して増大していく。
水の真中に落とされた石の大きさで、そこから生まれる波の大きさは変化するのだ。
作業はまるで津波のように押し寄せてくる。1回に大きく来るだけじゃなくて、波紋は二重三重に形と大きさと強さを変えて、それにどう立ち向かうか。仕事ってそういうものにどうしてもしてしまう。もしかしたら、それは効率の悪い方法なのかもしれない、人から見ればキャパシティをオーバーした仕事を受けているとも言えるかもしれない。
津波を避けるのは、波の下を潜ればいいけど、それは避けているだけで何も解決しない、けど地に足をふんばって、耐えられる波に限度もある。
なんでかしらんけど、私はどうしても踏ん張ってしまう。そんで、いつもダメになっちゃうんだよな。
今日も、巨大なタイダルウェーブ。ふんばりきったら明日も大津波。