月 2 9月 2002
先般、市川コルトンプラザでマジックマスターズオープン2002なるマジックの大会が開かれた。マジックの大会というのは刺激の宝庫であり、これだけでご飯3杯は食べられる。味付けもちょい濃い目で白米にぴったりかも。
そんななので、色々考えることもある。ネタは山のように出てくるし、自分にとっても大事な事を再確認する場として、マジックの大会、またそれに付随する他の人との交流は新しい考えや自分の考えが整理されていく。
まずはマジックの原論に、自分の再確認も含めて触れていきたいと思う。
マジックを始めるきっかけというのは様々である。マジックを覚えたいという点では共通するのだが、その指向は内向性と外向性にわかれている。つまり、自分が覚えることで満足するのか、人に見せることによって満足するのか、という点である。
初動において、この方向性は2極分化する傾向が強い。そして、マジックの覚えた量、始めてからの期間に応じて、この方向性は外向性側に大きく傾いていく。つまりマジックは自己満足の道具ではなく、人に見せることでその効果を発揮するという点にたどりつくのである。
しかし、この人に見せるという行為は実は二面性を秘めていたりする。それは見せることによって自分が楽しい場合と、マジックを見て喜ぶ相手を見て楽しい場合だ。前者には失礼な言い方だがマニアが多い。後者はプロマジシャンに多く見られる。これは絶対論ではなく、比較論での話。マニアと呼ばれる人の中にも、マジックを見て楽しんでくれるという事が嬉しい人もいるし、プロマジシャンにも自分が行う凄い事を「どうだ、俺様は凄いだろ」と見せる人だっている。
さて、マジックは一体誰のもので、何が目的なのだろう。
私自身におけるマジックは、自分を格好良く見せるための一つのソースにすぎない。極端な言い方をすれば、歌が上手ければ歌でもいいし、踊れるならダンスでもいい。しかし、現在の自分において最も自分を格好良く見せられるのはマジックだと考えるし、今後もその点に関しては変化はないものと思われる。
またマジックには夢と幻想がある。観客はデックの中にいれたカードが指を鳴らすと一番上にあがってくる、という現象だけを見るのではなく、それを演じているマジシャンの姿も含めて見ているのである。だからこそ、マジックはマジシャンのものかもしれないが、その目的は観客を楽しませるものなのではなかろうか。
私は自分が格好良く見せるためのソースという表現をしたが、自分が格好良くなるためには観客が見て楽しい、もしくは驚くことのできるマジックが成立している必要がある。自分が好きだから、自分が格好良くなるから、という理由だけで演じるマジックを選んだとしても、それは独り善がりの自己満足で観客がついてこなければ、なんの意味もなさない。
マジックショーは観客のためにあるものである。何をもってマジックショーとするのかは千差万別やもしれぬが、私は自分がカードを持って、それを見る観客がいれば、それはすべてショーであると考える。だからこそ、マジックは見せるものであるという認識を地の部分にきっちりと埋め込んでおかなければならないだろう。
「自分がしたい」事がそのまま「観客の見たい」事であれば、これは幸運な事だ。無論、観客が何を望んでいるかがわかればこれにこしたことはない。なので、ここで悩んでもあまり意味はない。しかし、「自分がしたい」事が「観客が見れる」ものかどうかは、多くの努力を必要とする。
今後もTHEORYの章ではこの話が出てくると思われる。大会における演技で例えれば、声の大きさ、台詞のカツゼツ・・・観客が自分の言いたいことを聞き取れているのか、また理解してもらえているのか。カードの取り扱い方、アピールの仕方・・・自分の見せたい現象は本当に観客が見えているのか、また印象に残っているのだろうか。
これを一言で片付けるとするならば「プロ意識」と括れてしまうが、そんな野暮なことはしない。
しかし、観客の立場にたったときに、自分が他のマジシャンに対して不満に思うことがもしあれば、それはあなたのマジックに対して、観客が同じ事を感じているかもしれない。という事は一度さらってみると、演技に磨きがかかるのではなかろうか。
マジックをするということは、かならず観客がいることで成立する。だからこそマジシャンは観客を意識することが重要なのである。練習の段階から一人で練習していても観客を意識した動きをすることはマジシャンとしてのレベル向上に大きな助力となる。という点を理解することが大事なのだ。
また、自分のマジックを自分が観客として見た時に、何があったら見やすいかだけではなく、どうなったら面白いか、と考えることができれば、それは観客のためのマジック。すなわち多くの喜びを提供できるマジックに変化させるチャンスにもなる。
私自身は、Psykaの「したい」マジックを考えるのではなく、私が「見たい」Psykaのマジックを考えるようにしている。これは似ているが大きく異なるもので、これが私のショーのクオリティの一端を担っている、と考えている。
さて、この「したい・みたい」論は様々な派生をすることになる。今後もこの章では色々な角度から突き詰めていきたいと思う。