このお題目を語るにおいてもっとも重要なのは「Be Natural」という言葉である。この言葉はマジシャン、ダイ・バーノン氏の言葉として、今でも多くのマジシャンが自身のマジックにおいてキーワードとしている。

さて

バーノンの文献の中でもこの「Be Natural」という言葉は使用されているのだが、はてさて、「Be Natural」とはいったい何なんだろう。

最大公約数的な和訳として、日本で用いられているのは「自然であれ、ナチュラルであれ」という意味である。読んで字のごとく、書いて字の如し、翻訳も間違えようのない言葉であって、誤った翻訳のしようがないといえば、ない。

しかし、これが解釈となると様々な考え方に辿り着くから面白いものだ。これも「Be Natural」という2ワードだけが記録され、彼の本来の意図を置き去りにしてきた日本の知識伝達の功罪なのだろう。

とはいうものの、ここで本来の意味を掘り返してもしかたがない。ここでは私がこれまでに出会った解釈と、私なりの解釈を紹介しよう。

最も多い解釈というのが技術を示したものだった。すなわち、カードを操作する際に自然な動きになるようにすべき、という考え方である。

いくつかのケースがあるのだが、分かりやすいもので説明してみよう。コインを握って、ウォンドで消す。というマジックを見せるとしよう。上記の理論では、まずリテンションバニッシュの技術を上手にし、自然に握ったコインが消えるという部分を完璧にする。その上で、実際に演技をする際は、テーブルの左側にコインとウォンドがあるようにする。

そうすると左側にあるコインだから、左手で取り上げる。この左手のコインを消すのだが、消すための道具は左側にあるので、コインを右手に渡す。そして、左手でウォンドを取り上げて右手のコインを消すのは「自然な動き」となるわけである。ああ、左・右とややこしい。

つまり、この理論では左手に持っているコインを消すのだから、左手に握ったまま消さないのは「不自然」であると考えているわけである。そのため、コインを右手に移すための理由を求めるのだ。

この「Be Natural」論は10年ほど前に非常に多く見られた理論である。

次に私が出会ったのは同じように自然であれ、というものではあったが、それは人として自然であるべきという考え方だ。

すなわち、ハーフダラーのようなアメリカのコインは日本にはないのだから「不自然」であり、日本なのだから500円玉などでマジックをするほうが「自然」であるという考え方だ。

彼らは、トランプマジックもあまりやらないケースが多い。身近にあるもの、手元にあるものなどを利用したマジックを行い、日常的に身近にあるものから現象を生み出すというところをポイントとしている。無論、カードマジックを行うこともあるが、それを最初から見せることは「不自然」なため、いくつかの日用品などによるマジックを見せた上、自分がマジシャンであることを認識させた上で出すことで、自然であるとしている。

なるほど、これも「Be Natural」論である。

ここ数年で出会ったのは、マジシャンにとって自然であれば良い、という考え方である。

カードやコインマジックを持っていることはマジシャンにとって自然であり、それによって繰り出されるマジックは技術のレベルが高ければよい、つまりマジックにおける動きはどこまでいっても日常的な動きと同じようにすることはできないのだから、マジシャンとして自然であれば良いという考え方だ。

マジシャンにおける自然というのを何を指すのか、これは個々において判断が分かれるところだが、たしかにカードやコインを持ち歩いているというのは、人としては変だが、マジシャンとしては何もおかしくない。

マジシャンの演技の際の動きというのも、一般人から見れば非常に不可思議な動きである。これは最初にあげた理論を実践しているマジシャンの動きを見てもそう感じているだろう。そういった意味では論理的な動きであれば、マジシャンのムーブを無理に自然にしようとするのはおかしいと考えるこの理論は理解しやすい。

この理論は最初にあげたものに近いといえば近いか。

こうして挙げてみると、「Be Natural」という言葉に対する捉え方は人それぞれであると言う事がご理解いただけるだろう。

では、私の解釈は、というと、これらの中道を取るような形で申し訳ないのだが、「自然である=自分らしく」という考え方をしている。

これは自分というマジシャンがどのようなマジシャンであるかというキャラクター認識を必要としているのだが、自分にとって自分らしければ他のマジシャンがそれは不自然だといっても良しとする考え方である。

しっかりとした技術的な裏付けをもっていれば、大雑把な動きをするマジシャンもいれば、理路整然と細やかな動きをするマジシャンもいる。コインを持ち帰るのにも、マジシャンごとの解釈と意味付けが通っていれば、万人が同じである必要はないという事だ。

日用品を使おうが、カードやハーフダラーを使おうが、それが自分というマジシャンにとって自然なことであれば、それでよいのではないだろうか。

ただし、これらはあくまでも技術的に一定量の水準を満たしている場合のみに適用すべきと考えている。最低限の技術を習得し、技術的な綻びがないマジシャンが自然を追及する際に進む方向を一々そろえる必要はないだろう。

無論、理論的にこうしなければ不自然すぎるという考え方は存在している。これは理論上不自然なものの多くが、観客にとって見づらいものになっているので、修正すべきという考え方だ。

具体的な例であげるのであれば、カウント類がその一例となる。右手にピンチクリップで持っているカードを左手で取りながらカウントしていくたぐいのもの、例えば、エルムズレイ・リバース・ヨルダンなどがそうなるだろうか。

これは右手にもっているカードを左手で取るのだから、動く手は左手である。右手は動かない方が自然だろう。右手が動くのであれば、左手で1枚ずつとる形は不自然であり、もしそうするのであれば、右手にディーリングポジションで持っていて、親指で1枚ずる落としていくほうが自然と思われる。ちなみに両手とも動いてしまうのは論外だ。観客にとって見づらいことこの上ない。

私自身の技術は全てが完了しているわけではないが、このような観客の立場にたった見易さを考慮している。一つ一つの技術単位での認識をした上で、現象を起こすための全体の流れを作れば、これはみやすいマジックとして成立しやすく、結果、私にとっては自然な演技である。と考えるわけだ。

「Be Natural」という言葉は、少し古い言葉になっている事は否めないだろう。文献的にも少し古い頃の話であり、ここ数年のマジシャンにとっては知らない言葉かもしれない。しかし、多くのマジシャンが影響されたダイ・バーノンの言葉として、そこに込められた意味は現代においても必ず通用するものであることは間違いない。是非、一度「Be Natural」について考えてもらえれば幸いである。