火 15 10月 2002
マジックにおいて、プレゼンテーションは必須である。具体的に何をもってプレゼンテーションとするのかは難しいところだが、何かストーリーテラーになって物語を話すだけがプレゼンテーションというわけではない。起きる現象を有体に説明するのも、これもまたプレゼンテーションの一部と言える。
今回のテーマ、リアリティとファンタジーの境界線に関していえば、前者のストーリーテリングにおける重要な要素といえるだろう。
私は、マジシャンの語る話はすべてが真実である必要はないと考えている。マジックをより魅力的に見せるという条件において、「嘘」は「嘘」ではなく「フィクション」になりうると考えているからだ。世の中に作り話は山のようにある。テレビのドラマがすべてノンフィクションだったら、漫画がすべてドキュメントしかなかったら、世の中、こんなにつまらないものはない。
フィクションは嘘と卑下するものではなく、エンターテイメント性を持った、一つのファクターなのである。これは非常に重要だ。
だからこそ、マジシャンは自分のマジックにストーリーを紡ぐ、
「私が子供の頃・・・・」
「私がラスベガスを旅行している時のことです・・・」
などなど、自らの体験談やヒストリーを枕にマジックをするマジシャンは多くいる。
彼らの多くはその物語はフィクションであり、これを「嘘だ」という観客はいないだろう。
しかし
私はここにフィクションだけではなくリアリティを持つべきと考えている。
リアリティというのは真実ではない、「本当らしさ」を指している。マジシャンの語るストーリーが「嘘」であると思われる最大の要因はマジシャンにリアリティがないからだ。
例えば、マジックを始めて1年も経っていない人が「数年前、ラスベガスに旅行した時の話です」とギャンブラーズトリックを見せ始め、「そこでマジシャンだった私は」などと話が展開すれば、これは残念なことにリアリティがないのである。
自らの体験を元にしたストーリーには必ずリアリティが必要と私は考えている。これは、マジックを初めて一年で、そういうストーリーをするな、という意味ではなく、それならそれなりのストーリーが考えられるという事を伝えたいのである。
私は、自らのマジックにおけるプレゼンテーションにはリアリティを重要視する傾向がある。例えば、ジョンハーマンの「Gemini Story」というマジックを演じる際に、私は起きる一連の現象は、アメリカで1963年に発表された映画のシナリオであるという話をし、単なる双子の話なのに何故印象深いかというと、その映画の登場人物はすべて一人の役者が演じていた。という落ちをつけ、4枚のカードが全て同じカードになるというフィニッシュを設けている。
無論、1963年にそんな映画は発表されていないし、そんな器用な役者がいたという記録もない。
しかし、このプレゼンテーションは私自身が演技において語ることによって、実際にそんな映画があったと観客に思わせるだけの説得力を演技上加えることに気をつけている。
私はマジシャンとして口から発する言葉はどんな言葉であれ、ショーの一部と捉え、ショーである以上はフィクションは必要と考えている。しかし、単なるフィクションは時には観客をしらけさせてしまう。だからこそ、そのフィクションにはリアリティという名の説得力が必要なのである。
優秀な映画の多くがメインストーリーを囲む様々な設定が細部まで作られているように、マジシャンは自分の語るストーリーは細部までこだわるべきなのである。
私の他のマジックを例に取ると、魔法のランプを使用したインターレストバニッシュがある。これはアラビアンナイトを題材に演じるマジックだが、私はこのマジックのストーリーを考えるに当たって、様々な資料を通じてアラビアンナイトを研究している。自らが詳しいからこそ、アラビアンナイトの説明に説得力が増すのである。
優れたマジシャンの多くは、このプレゼンテーションにおける説得力、すなわちリアリティにおいて格段の力を持っている。これは彼らの経験からくる説得力の場合が大半だ。しかし経験のないマジシャンも知識という貯蓄を得ることで説得力を増すことは容易にできるのである。
リアリティという鎧を身につけることができれば、単なる「つくりばなし」は「フィクション」へと昇華し、そこにはエンターテイメントが生まれるのである。