木 17 10月 2002
いきなり余談だが、カメラ撮影とビデオ撮影を進めていない関係上、このムーブの章はなかなか筆が進まない。具体的には、マジカルジェスチャーの具体的なアクションや指を鳴らすというこだわり、カードの提示方法など、映像と共にご覧頂きたい技術や動きなどがあるのだが、ちっとも進まない。そのうち誰かにお手伝い頂いて作業することにしよう。
さて、動きにおいて最初に私が語ることは他の項目にも相通ずる部分である。
そもそもマジックにおける動きというのは手の動きだけではない。それは顔の動かし方、体の動かし方、視線の送り方など様々である。これらはマジックの技術の練習とはまったく関係のない別の意識が必要な部分だ。
例えば、多くのマジシャンは左側を向いて何かをしたあとに、右側に少し離れた観客に何かを手伝ってもらう際に、普通に歩いていく。それはそうだ、歩かなければ移動できない。しかし、この移動すら、観客にとってはショーの一部である。
マジシャンはある一線を持って、すべてショーである、という認識をもたなければならない。例えば、紹介されてマジックを行い、最後に観客から拍手を貰うまでが、これは一連のショーなのである。
ショーである以上、そこに存在する現象だけではなく、人物、すなわちマジシャンであるところの自分はショーにおいては動きまでもがショーでなければならない。簡単に歩いていてはいけないし、常にマジシャンでなければならない。
私を例にとるならば、私はPsykaというマジシャンを演じている傾向がある。なので、ショーの最中に素に戻ってしまうというのを嫌う。テレビなどで芸人さんが出てハイテンションに盛り上げているが、あれは彼らの素の人格ではなくブラウン管の中において特別に用意した芸人としての顔である。無論、そこの誤差の多少はあるが、ほぼ全ての芸能人はその認識を持っている。
この意識を広げていくと、ショーが終わったとしても、観客の視線がある中ではマジシャンでありつづける必要があると私は考えている。すなわち、控え室なのか、帰りの車の中なのか、観客の視線に触れなくなった時が素の自分に戻る瞬間であり、それまでは私はPsykaでありつづける訳である。
私にとって、Psykaというのは本来の自分とは異なるキャラクターとも言える。まあ、そんなに大差はないのだが、自分の持っている「Psyka」像は明確で、これをクリアにするために、どのような言葉を使い、そしてどんな動きをするのがもっとも良いかという手順で考える。行うマジックも同様だ。
私はマジックをするのは、自らを格好良く見せる道具であると考えている。だからこそ動きの一つ一つもどうするのが格好良く見えるのかを意識するようにしている。実際にどこまで上手くいっているかと言えば、パーフェクトではないので、それは日々研究といえる。
どんなに手先の技術が優れていても、私が猫背でまるまったまま小さい演技をしていれば、観客には格好良くは見えないだろう。演技から受ける印象は手先だけでもないし、現象だけでもない。体全体、ステージ全体から受けるものである。だからこそ私は自分にとっての「さまになる」演技を意識する。
自分が格好良く見える演技や動きは人それぞれであると考えるべきである。自分の体型、顔のつくり、髪型、衣装、指の形など、それぞれの状態に応じて「格好よさ」の演出方法は異なる。私は雰囲気を一定化させるために、現在は私服も衣装も全て黒を中心に統一しているが、そこに辿り着くまでには、白い衣装もあったし、紫色の衣装もあった。水色のジャケットなんていうのを営業でつかっていたこともあったが、回りまわって現在のスタイルに落ち着いている。
動きに関しても、私のステージ上での動きは小さい円の動きと曲線の動きを中心にし、直線的な動きは集中を高める際に使用している。この辺も今後お話できるだろう。
マジックというのは、手元で起きる現象の一つでしかない、というのが私の考え方であって、観客はマジックではなくマジックショーを見ているというのが持論だ。マジックショーはマジックで100%構成されることは不可能で、そこにはマジシャンという行う人間が含まれる。だからこそ、マジシャンはマジックショーにおいての「自分」を十二分に意識しなければならないのだ。