いくつかのテーマを抱えているのだが、日々研究中。なかなか面白い話にまとまらない。研究課題はいまだ多く、まだ語り尽くしていないのだが、ことさら言葉にするためには自分の中での反芻作業。他者との討論による煮詰める作業などが欲しいところ。より多くの識者、マジシャンと会うべきだろう。掲示板での会話ももっと活発になると良いかもしれない。

私の書いている話は100%がマジシャン全般の為でもない、中にはプロマジシャンやそれを狙う若者など、マジシャンの中でも特定の人たちへのアプローチが多分に含まれている。そこの境界線は明確にすべきなのだが、まあ、読者が判断してくれるだろう、という甘い認識のまま進めていく。

マジックにおいて、手と口同様に重要な位置を占めているものに、視線がある。マジシャンの視線は現象を効果的にするために、非常に重要なファクターである事は、ここをご覧になられている方の多くがすでに体験し、実践しているものと思われる。

たとえば、右手に持ったコインを左手に渡して握りこむ。息を吹きかけて左手を開くとコインが消えてしまう。これだけの演技を行うのも、視線の使い方一つで現象の効果を増幅させることも、減少させることもできてしまう。

ベースになるのは、マジシャンは現象の発生するポイントを見るということだ。現象を発生させるポイントと、現象を発生させる行動を起こすポイントは異なる訳だから、観客に現象を発生させるポイントを見せるためには、その場所を見る必要がある。

マジックの場合、観客はマジシャンが見ている場所(意識している場所)を見る傾向がある。つまり観客の視線をコントロールするのは、その大半の役割をマジシャンの視線が行っているという事はマジックをする上で意識すべき点である。

また、マジシャンが観客を見ていると、観客はマジシャンを見る。これも忘れてはいけない。観客を見るというのは、観客側を見るという事ではなく、文字通り観客を見るのである。仮に10人の観客がいたと仮定して、このうち30〜40%の人とアイコンタクトをすることができれば、ほぼ全員がマジシャンの顔を見ていることになる。

マジックは、マジックという現象を見せるだけでなく、それを行っているマジシャンを見せているという事を忘れてはいけない。マジックの現象だけしか見ないのは、マジシャンだけだ。どんなにタネを明かそうとしていても、どんなに斜めに見ている観客でも、マジシャンが行う視線の動作に抗うことはできない。

しかし、正しいコントロールをしていなければマジシャンの視線の動かし方は一転して怪しい部分を露呈してしまう道具になりえる。たとえば手元で何かの処理を行わなければならないときに、視線が観客側を向いていても、焦点が観客にあっていなければ、観客はマジシャンを見ないで、手元を見てしまうだろう。

見るという事は、意識するという事である。意識が別の方向に向いていれば、観客は視線にはないどこかへ飛んでいる意識を探そうとする。結果、観客の視線は手元へと誘導されてしまうのだ。

人が見るという事は意識することである。マジシャンの演技を見ている人がマジシャンの意識するもの、すなわち視線に注目するのは当然である。その際に、視線が意識とイコールではないのであれば、そこの観客が気が付くのも当然であるという事は演技の際に意識すべきではないだろうか。と繰り返しておこう。

一方で、現象を観客と自分の視線の間で起こすという姑息な技もある。現象の起きている延長線上にマジシャンの顔があるのは、意外とドキっとするものだ。なにか心を鷲掴みにされる感覚に陥る。

これはもともとの手法はディナーショーなどでの歌手が用いている手法だ。歌手の歌に酔いしれてボーっと見ていると、くるっと、振り向き歌手と自分の視線が重なる。これはかなりイチコロである。ジャニーズのタレントの多くはこの辺の技術が優れている。

マジシャンが演技中に観客と視線を交わすべきというのは、現象の効果を挙げるだけでなく、マジシャンの世界に引き込むという意味でも効果的だ。この辺は、マジシャンのショーを見るよりも、ライブやディナーショーの歌手、もしくはマルチ商法の宣伝マン(笑)、宗教家などが参考になる。いや、参考にしなくても良いのだが、手法としては同じジャンルではないかと考えている。

視線に関する考察もより深めるべきポイントではないかと考えた。