研究課題は多々あるのだが、その中でもイマイチまとまりきっていない課題のひとつにタネ明かしがある。これは世間的にという事ではなく、私の中での話。

2ちゃんねるで行われているタネ明かし論争は、純粋なタネ明かしの是非を問うものだけではなく、団体間の確執などもあり、かならずしもイエスとうなづける道理に辿り着くことができない。どちらの言い分も、その側面から見れば正しいと押し切ることができる論理であると考えられるからだ。

悪く言えば、どっちもどっち的な答えであり、最終的には個人の好き嫌い(論理的もしくは団体として)にまとまってしまうところだろう。

このサイトのように、マジックについての考察などとYahooで紹介される以上は、このタネ明かしに関しても考察すべきと考えるし、これは引き続きの課題としている。時折、引出しから取り出してたまには眺めつつ、考えておくべきだろう。

私の中にはタネ明かしに対して否定的な側面と肯定的な側面を併せ持っている。しかし、これらはマジシャンとして、という考え方と純粋なマジックファンとして、さらにはマジックをビジネスの一つの可能性と考えている起業家として、という3つの方向から見るとさらに異なった意見になるのでややこしい。

なので、今回から3回にかけて私の持つ3つの視点からマジックに関して取り上げていきたいと思う。どれも私の独断的な考え方であり、それを肯定して欲しいという願いは1ナノメートルもない。むしろ偏った考え方だと認識しているからだ。

マジシャンPsykaとして、暫く前から永遠と続いているテレビ番組におけるタネ明かし番組をどうこうという問題はあまり興味がない。正確にいうとどっちでもいいというのが正直な感想だ。

最大のポイントとして挙げられるのが、テレビとライブの差だ。私はことクロースアップマジックに関してはブラウン管の中での現象はどこまで行ってもライブで起こされる現象には敵わないという原則を持っている。

これはテレビの表現方法が多彩になることによって、より明確になってしまった。疑ってしまえば、テレビの中で起こされている全ての現象は、映像技術という異なった「トリック」ですべて実現させてしまうことができる。すなわち、テレビにおけるマジックはすべて映像技術を介在しないことを前提にしてみなければならない。ここがライブのマジックが強いところだ。

私自身はテレビに出て有名になるという野望がまったくないので、マジックの番組がどんな形であれ増えることは、一般の人たちにマジックの存在を伝えるという意味では非常に有難い。ここのところの営業が増えている要因にも、マジックというものをテレビではなくライブで見たいという要望が多いことが伺い知れる。そして実際にライブで見た観客の感想は「マジックはテレビで見るよりもライブの方が面白い」となるわけだ。

これは落語に似ている。落語もテレビで見るよりもライブの方が面白い。無論、テレビが全ての芸能事の持つ面白さを伝えきれないというテレビがもつそもそもの欠点のせいではあるのだが。歌にしても芝居にしても、これらはライブの方が面白い。映画やドラマはもともとテレビという視点で見ることを前提にして作られているのだから、それはテレビ(もしくは銀幕)でしか成立しないだろう。

マジシャンとして考えるべきポイントは、何を明かしても良くて、何が明かしてはよくないという議論だろう。これはテレビに出るマジシャンが決めるべき境界線だ。結果として、業界や仲間うちから批判されることがあったとしても、そこを跳ね除けわが道を進む覚悟を持っていれば、私は大いにやるべきだと思う。結果としては勝てば官軍なのだから、最終的に負ければボロクソに言われるだけで、そこの覚悟を持って挑戦して欲しい。

マジックが微妙なところは、誰がいつどうやって開発したのかが明確になりずらいところだ。番組で自分のオリジナルだと発表してタネ明かししたら、それは誰々が考えたものだ、と横槍が入る。しかし、発表した側がそれを模倣したのか、それとも本当に自力に開発したかは闇の中である。双方の言い分はどこまでも平行線だろうし、それを確認する術は残念なことにない。

何という会報やレクチャーノートで何年に発表した、と言っても、その本を見ていない人が同じルーティンを思いつく可能性は否定できないのである。それをオリジナルと呼ぶかといえば、考えた人はオリジナルというだろう。あとは、その後の流れから先に考案した人を立てるか立てないかは後から考案したマジシャンとしての力量、資質の問題である。

タネ明かし番組だけでなく、私は本として発行されているマジックのやり方などの解説本も同じと考えている。最終的にはその番組なり、本を編纂をするマジシャンの資質と力量の問題だろう。確信犯的にするならば、最後まで悪者で通すべきであり、結果としてテレビ業界で売れてしまえば、私は勝ちであると考える。その出世したいという貪欲さは大いに進めるべきである。結果として業界からつまはじきにされたとしても、それが目指すものであれば、周りの声などは関係ないのではなかろうか。

私は、人のマジックのタネアカシを推奨しているわけではない。しかし、タネ明かし番組を否定しているわけでもない。マジシャンがマジシャンの尊厳を持ったうえで種明かしをするのであれば、最後のケツをまくるまで、そのマジシャンが責任をもつべきだと考えている。それができるのであれば、あとはブラウン管に登場するマジシャンがただの「タネ明かしをする人」ではなく「マジシャン」として興味深く映るのであれば、それは賞賛に値すると考えている。

ここ数年の自分が見た範囲でいうならば、タネ明かし番組において,マジシャンがマジシャンとして格好良く映ったケースは皆無である。タネ明かしがクローズアップされ、ぶっちゃけ、あんたじゃなくてもいいよ、的な番組の映り方は、マジシャンの力量不足ではなかろうか。そこにテレビ側の意図があったとしても、それをねじまげるだけの魅力とカリスマがマジシャンに備わっていればいいだけである。

しかし、テレビでタネ明かしされると日々の営業でのネタが困るという意見もあったのだが、そんなにレパートリー少ないのですか?と首をかしげたり、逆にそのタネ明かしを利用するルーティンくらいは思いつきそうなのだが、そういう問題じゃないのだろうか?と実はタネアカシ問題におけるマジシャンとしての問題の焦点がじつはわかっていない筆者であった。

この話はまだ続く、予定。