※言い訳 この文章は昨晩書き上げたのだが、さきほどネットを見ていたら、秋元正氏も同じ内容で日記をかかれていた。決してパクったわけではないのでご容赦いただきたい。

19日は、町田までマジックの大会に参加しに行った。多くの話のネタを仕入れつつ終わったので、それまでにまとめていたネタと合わせながら、一つずつ精査していきたい。

マジックを長く続けていると、多くなるのは自分が演じたマジックはどうですか?というアドバイスを求める話である。これは長くやっていなくても、優秀な演技をするマジシャンが多かれ少なかれ遭遇するシチュエーションと言えるだろう。

私の場合、どうもアドバイスを求める人は多くない。どうやら怖いらしい。いや、言い方が怖いのではなく、存在が怖いようだ。たしかに無表情だし、目も据わっている。目が据わるのは、額にしわが寄りやすいので、それを出さないようにしているだけなのだが。まあ、そんな事は回りの人は知らないので、いつも不機嫌に見えているようだ。決してそんなことはない。

そんなアドバイスだが、私はアドバイスに関しては非常に神経質に取り扱うようにしている。以下の私の考え方は決して正しい姿勢ではなく、私自身が置かれている環境やその他諸々を考慮した結果、自分の考え方として定着しているものである。

私の中で、アドバイスは段階的に、助言と意見と参考の3段階に分かれている。これらはアドバイスを求めている人に応じて変えているという事を知ってもらいたい。

アドバイスというのは、影響力のあるものだ。それ一つでそのマジシャンの中に形成されている知識や技術、考え方すら左右しかねないという事を私は神経質に取り扱っている。

私が、原則的に助言をしない。そのマジックはココをこうしたほうが良いという言い方は、そのマジシャンが誰を師事しているかを理解した上で、その師事しているマジシャンと相反する考えを導入する可能性がある場合を多分に含んでいる。そのため、その師事しているマジシャンの意図が正確に伝わっていない場合のみ、訂正するようにしている。これは私の意見の非常に根底にあるものだ。

うかつなアドバイスをして、彼がそれを受け入れてしまうことによって、後に師事しているマジシャンとのやり取りで、再び修正されてしまうのであれば、それはちょっとした遠回りになってしまう。私はそれを避けるようにしているという訳だ。

具体的な解決方法を聞かれた場合は、意見を述べる。私ならこういう解決方法を使用するというものだ。これは技術的にも会話的にもどうように伝えている。しかし、これらはあくまでも私がそのマジシャンの演技をするならばこうするという事であって、それが最善であるとは述べない。あくまでも私なりの解決方法だということが前提だ。

もっと抽象的な話の場合は、参考になる話をする。これは同じようなシチュエーションに置かれた時に私はこのように解決した、このように考えるなどの意見だ。これはそのままではまったく利用できない。私の話の内容を参考に、彼自身が解決しなければならないからだ。

先般、あるマジシャンが演技をしたのを見て、あたまを抱えるマジシャンがいた。どうやらかなりダメらしい。私も同じように感じた。その後、そのマジシャンは、彼を呼び止め、具体的な説明をし始めた、「その動きは、こうしなきゃダメだ」といった内容だった。

私はこれが出来なかった。なぜなら彼がどういう経歴でマジックをしているかを理解しており、そのダメな部分は,そっち側ではヨシとされている部分だからである。そこを修正したとしても、彼は後に、「そうしてはダメだ」と言われるからだ。私がもし彼にアドバイスを求められたら、「そういう見せかたもあるが、全部が同じでは飽きてしまうので、抑揚をつけるのにこうするのも取り入れてみるのもいいんじゃないかな」という言い方になるだろう。

また、私は技術面でのアドバイスはするものとしないものが分かれている。技術的に進化を続けているものに関しては、私は最新情報を得ていないものに関しては決してアドバイスをしない。逆にある程度、理論が構築されて固められているものや、その技術のベーシックな部分に関してはアドバイスをする。そのアドバイスは的確に出来るという自負がある。まあ、私に技術的なアドバイスを求める人はあまりいないのだが。

重要なのはアドバイスはどんなものでも、上から下に伝えるものはそのマジシャンに多大な影響を及ぼす可能性があるということだ。適切なアドバイスや意見でなければ、実はそのマジシャンの将来に多かれ少なかれ影響を与えているということを、アドバイスする側のマジシャンは心に持っていなければならないのではなかろうか。