以前、マジックと手品の違いに関して力説したのだが、読み返してみたら・・・良く分からないし、あれから少しは考え方も変化してきたので、あらため書き残すことにしてみる。

そもそもマジックと手品は元になっているものが違うのではなかろうか、と。

マジックの起源は中世ヨーロッパに存在した魔女と言われています。世の中の常識に反した現象を次々と起こす事の出来る魔女を、忌み嫌った事によって魔女狩りが生まれます。あれはキリスト教が宗教よりも影響力が大きくなりつつあった魔女を警戒して弾圧しようとしたんだっけな。たしか。どちらかというと魔女狩りは政治色の強い社会現象だったのかな。

この時代に世界で最初のマジックの本が生まれているのは、前回も書きました。筆者は、当時の魔女。使用したカードは確かタロットカードを使用したものだったよな気が…具体的な内容は伝わってないのですが、その現象は今にも通じるものらしいです。

(99/08/03追記)
当時の魔女と言われる魔法使いの面々が実際に魔法を使えたのかマジシャンのようなテクニックや仕掛けのあるものを使用していたのかは、定かではありません。当時出版された「マジックの原理」と呼ばれる本は、魔法使いが自分たちの魔法は誰にでも出来る事を証明するために作られたのかもしれませんし、本当の魔法を隠すために捏造したものかもしれません、どちらにせよ真相は藪の中と言わざるを得ないでしょう。

マジックはその後、多くの分派を生んでいく訳です。それは超能力者も入ってますし、占い師なんかも、そうですね。後はエンターテイメントの世界です。

エンターテイメントにおけるマジックとは、歌や踊り、演劇等と対等に肩を並べる物です。アメリカ西海岸におけるエンターテイメントの最高峰、ラスベガスに於いて、マジックショーをホテルのメインショーに据えるホテルは多いのです。ミラージュホテルのシークフリード&ロイや、シーザスパレスのデビットカッパーフィールド、後はランスバートンとかも、そうですね。どちらかというとグレードの高いホテルになればなるほど、ショーとしてマジックを取り扱っていると思います。

他にもレビューショーの中にマジシャンが入っているのもいたって日常的です。

一方手品は、日本における「手妻」が起源とされています。一般的には大道芸の枠と考えて宜しいのでしょうか。これも後に見世物小屋における「蜘蛛女」などの分派を生むのですが・・・手品は常に落語等の寄席における前座芸としての位置づけでしたね。いわば古典芸能くさいです。またエンターテイメント性の低い事が多かったです。無論全員がそうだとは決していいません。

(99/08/03追記)
根を掘り下げていくと、手妻も中世の魔法がルーツであることは、おそらく間違いないでしょう。ここで問題視しているのは、あくまでも日本芸能文化が手品という一つのジャンルを軽視し続けたというのがポイントだと考えています。現在の日本国内のマジック界は、この古典芸能から派生しているグループ・団体と、そうではない人たちとが入り混じっている状態です。
一人一人の手品師・マジシャンを振り分けるような面倒な手間は惜しんだのでこのような表現になっていますが、私自身はプロとしての姿勢などを見ていて尊敬に値する手品師の方々もいらっしゃいます。有名なところではマギー四郎さんなんかが顕著です。彼は手品師としての確立された姿勢、プロ意識など頷く点が多く、非常に感心させられたことがあります。

手先の技術を用いた芸であるという印象を日本人に強く思わせているのは、この手品という言葉と手品師の「種も仕掛けもありません」という常套句、また「俺様にしか出来ないんだよ」といった演技から滲み出る優越感がもたらしたものでしょう。

で、この語源や起源の違いをイコール手品とマジックが違うと言ってる訳でもありません。

実は問題はもっと根深いものがあります。私が言っている手品とは、その姿勢がどうしても許せないものの事を指している場合があります。

例えば、

演技を見せる前に観客が、「どうにかしてタネを見破ってやる」と意気込んでいる場合、あなたはどうしますか?

という設問があったとしましょう。これに対する解答として、とある手品師は本にこんな事を書いていました。

その場合、「タネなんかは、後でいくらでも教えてあげますので、まずは僕の演技を見てください。いいですか」と言ってからショーを始めましょう

…ですって。

観客馬鹿にしすぎ

演技が中途半端であれば、観客はそこで行われているマジックショーではなく、マジックそのものの方法に焦点を合わせたくなります。これは日本人特有の文化ではありますが、一方で演技をする側にも問題を感じるのは否めません。こんな教え方を信じているマジシャンがいるから困っちゃいますよね。

まあ、これに限った事ではないのですが、エンターテイメントとしては、とても考えられない事を平気で世に伝える人できれば、こういう方と同じ枠ではいたくないなぁ、と思う訳です。そのために手品とマジックを区切るというエクスキューズで使ってるのかもしれませんね。

日本人の手品師というのは、非常に偏っていて技術だけが極端に突出していて演技力がまったくなウツケモノというのが、沢山います。一方で、ろくすっぽ練習もしないで技術力が皆無なのを隠してマジックは演出と演技力があれば、見せる内容はどうでもいいんだよ、などという口上を繰り返す馬鹿もいますな。

大事なのはやはり全ての面で最低限の水準を超えた力を持っているべきと私なんかは考えます。

で、

重要なのは、観客に手品だろうがマジックだろうが夢のあるもの素晴らしいショーを提供する事が出来るか、ということです。そういった意味では、私はどちらもマジックにしても手品にしても否定しないのですが、なかなかそーはいかない人もいるようでして、困ったもんです。

ネタを知りたいという観客の欲望も分かります。それでも最後には、そんな欲求も忘れてしまうほどのショーが展開できるかどうか、そこにかかっていますね。

ただ、その点に関しては手品よりも海外のエンターテイナーとして成功しているマジシャンの方が優れているというのは、否めないでしょう。日本国内でそういうショーを構成できる人を探すのはどちらかというと苦労するような気がします。無論、皆無ではない事は知っているのですが…

(99/08/03追記)
エンターテイメント性の低いマジシャンが多く輩出される要因として、私自身は局地的に行われる機密性の高いマジックの大会というのを時折考えます。海外の大会は例外なのですが、国内で行われる大会の中では、観客も演者もすべてマジシャンというモノがあります。このような場所で行われるマジックコンテスト等は、マジックとしての優劣に比重が置かれているのではないのかな、と懸念します。
観客に分からないような技術・仕掛けがモテハヤサレ、それこそ出来レースのようなモノがあるのかもしれません。このような場所で優秀な成績を残しているマジシャンが優れたマジシャンというのであれば、それは「マジシャンの為のマジシャン」でしかないような気がします。
無論、そういう大会で優勝しているマジシャンが優れていないという訳ではありませんが、やはり「楽しませる」という部分が欠落したコンテストではなかろうか、と思ってしまうのは、おそらく私だけではないのでは。

書きおわってみたら、またもや取り留めのない文章になってしまいました。結局何がいいたいのやら、ま、この論議はまだまだ成熟過程ですので、気が向いたらまた書きますわ、それでは。