move


前回に引き続き、

・この技術は出来ます
・この技術は見せられます
・この技術は教えられます

である。

先般、BBSでLILIPUT氏から頂いたご意見で、別の方は
・見た事がある
・知っている
・覚えている
・出来る
・見せる事が出来る
・魅せる事が出来る

という分け方をしているというお話を頂戴した。

まったくもってごもっともで、これは私の書いた「出来ます」「見せられます」に文章で書いた「知っている技術」を加え、さらに細分化した考え方である。今回の目標は自分の技術を見直し、その状況を理解して欲しいということがコンセプトであり、その分類方法は細かいものが良いかもしれない。
私は、「出来ます」「見せられます」と二つに分けているが、かなり「出来ます」の範囲が広く、実際にはレベル分けでいているのだろう。「見せられます」というのは物凄い基準値が高い。もしかするとマジックできないかもしれない位だ。

さて、ここに私が何故「教えられる」技術を加えたかというと、これはプロマジシャンを含めた姿勢に対する意見というか提案が含まれている。

前章でも触れたように、私にとっての教えられる技術とは、その技術がどういう意図を持ち、何が重要なのかを自分の中で認識し、頭の中で体系立てが済んでいるものである。人が同じ技術を行っているときに、何が間違っていて、何が良くないのか、そしてどうすれば直るのかを伝えることができるものである。

私がこの「教えられる」技術を「見せられる」技術の延長線上に持ってきているのは、プロマジシャンの端くれとして、啓蒙活動に対する個人の姿勢を物語っている。

私は、自分の活動の一つとして、若手やこれからマジックを始める人達に対して教える事を、活動の柱としている。具体的にレクチャーを開いたりしているわけではないが、集まりや会ったマジシャンに聞かれれば、小さな事ではあるが、マジック界全体の底上げ、文化振興のためにも、より多くのマジシャンに技術の深さを知ってもらい、なるべく正しい(もしくは上手い)見せ方を習得して欲しいと考えている。

無論それは、PSYKAのやり方であって、そのマジシャンに師がいるのであれば、参考意見程度にとどめるようにしている。私は技術は伝承性の高いものと思っており、同じ技術でもA氏とB氏では、同じ人から習ったものでも、異なる技術体系に変化すると考えているからだ。

なので、A氏に師事しているマジシャンから技術に関して質問を受けた場合、全てを直してしまうということは、A氏の技術に対する考え方を否定する事になりかねないために、非常に慎重になる。

無論、このA氏がまったくもって間違っている(上手くない)見せ方を教えている場合は、我慢できず修正してしまう場合もあるが。

プロマジシャンとして活動するうえで、それに憧れるマジシャンに多く出会うはずだ。この「教えられる」というのは、そもそも教えるかどうかというプロとしての姿勢にも関わるのだが、教える以上は、技術は「見せられる」ものではなく、「教えられる」ものでなければならない、と考えている。

無論、全ての上手いマジシャンが教えられる訳ではないし、見せられる先に教えられるがあるわけでもないだろう。演技者としてはイマイチでも、育てた弟子が演技者として成功するケースは数多く存在する。しかし、彼らはすべて見せられる技術を通過していることを忘れてはならない。知識だけで語っているのではなく、そこには必ず経験が存在しているはずである。その点を踏まえ、私は「見せられる」技術の先に「教えられる」技術を置いた。これは「教えられる」技術が最高到達点という意味ではないことをご理解いただきたい。

人に教えるというのは、大きな責任を背負うという事を知ってもらいたい。その人のマジシャンとしての技術体系に影響を与えるのである。中途半端な知識と経験で教える事が、時にはそのマジシャンのマジック人生を大きく遠回りさせる可能性を秘めているのだ。アマチュアマジシャンでもプロマジシャンでも、その責任感を感じないままに、自分の技術を教えている姿を時折見かける。こういった技術がある、という伝播はいいにせよ、直したり、改善したりするという教授は大きな責任感を持って望んでほしいのである。

動作の意味等を理解するのと実際にその事をこなせると言うのは次元が違う。しかし、ここを明確にしないまま、教えているマジシャン、特にプロマジシャンはそこを改めて見直して欲しいのである。

先日、マジシャン数名との話の中で技術をテーマにしばらくディスカッションする機会を得た。非常に実りの多い話だったのだが、中でも興味深い話は技術の伝承に関してだ。全ての内容をここに記すと非常に膨大になってしまうので、何度かに分けてご紹介することにしよう。

マジックの技術を私はいくつかの段階に分けて頭の中で整理してある。これが今回のテーマである。タイトルにもあるとおり、私はそれを

・この技術は出来ます
・この技術は見せられます
・この技術は教えられます

と3段階に分けている。

見たままなので、ここで終わってもよいくらいなのだが、先に進めよう。「出来る」というのはその技術がどういうものなのかが出来るという事だ。手の動きは技術の形になっている。しかし、技術の精度、成功の確率、対観客として見せられないという不完全な状態を私は「出来る技術」と呼んでいる。技術があるのは知っているが、正しいやり方を知らない場合は「知っている技術」というもう一段下に落ちるのだが、これは技術力には含んでいない。あくまでも知識だ。

この技術が精度をあげ、通常の演技に含んでも自分が納得できるレベルに達しているものを私は「見せられる」技術としている。大会やショーなどで行うものはこの「見せられる」技術である。時に、私は仕方がなく「出来る」技術をショーなどで用いる場合があるが、これは非常手段であり、緊急事態であり、私としてはプライドを押し曲げて行っている。できればやりたくないし、やるべきではない、と終わった後に反省することが多い。

見せられる技術の先にあるのが「教えられる」技術だ。これはその技術がどういう意図を持ち、何が重要なのかを自分の中で認識し、頭の中で体系立てが済んでいるものである。人が同じ技術を行っているときに、何が間違っていて、何が良くないのか、そしてどうすれば直るのかを伝えることができるもの、これが私の中の「教えられる」技術である。

なぜ、このような事を書いたのかというと、賢明な読者はお気づきだろうが、この仕分けは重要なのだが多くのマジシャンが怠っているものでもある。つまり「出来る」と「見せられる」が一緒になってしまっているケースが多いということだ。

特に気になるのが、本を読み、2,3回練習して「出来る」ようになった技術をなんの躊躇もなく「見せられる」感覚だ。時折見かけるマジシャンの中の何人かの技術力に「?」マークを持ってしまうのは、そのマジシャンがこの境界線が物凄い低い水準で線引きしているからだと思う。

私はマジシャンにとっての技術は道具の仕掛けと同レベルで神聖なものであり、大事にしなければならないと思っている。それはタネを明かす明かさないというものではなく、マジシャンが演技をする上で命綱なのだから、中途半端なものは使用すべきではない、と考えているのだ。

例えば、何かの道具があって、これが亀裂が入っていて少しガタつく。演技をするのに支障はないものの、途中で壊れてマジックが成立しないかもしれないし、観客がその傷を怪しんで結果としてマジックが成立しなくなってしまうかもしれない。もしこんな道具があったら、演技をするだろうか?おそらく大半のマジシャンはNOと答えるはずだ。もしYESならば、マジシャンとして失格ではないだろうか。

技術も同じである。中途半端なものは使うべきではないという点で道具と何ら変わりはない。しかし、技術の方が判断は自分の価値観で下さなければいけないせいか、基準には誤差がある。その意識を一度見直してみるのはどうだろうか、という話だ。

さて、この話はまだまだ続く。次回も引き続きこのお話をしたいと思う。

いきなり余談だが、カメラ撮影とビデオ撮影を進めていない関係上、このムーブの章はなかなか筆が進まない。具体的には、マジカルジェスチャーの具体的なアクションや指を鳴らすというこだわり、カードの提示方法など、映像と共にご覧頂きたい技術や動きなどがあるのだが、ちっとも進まない。そのうち誰かにお手伝い頂いて作業することにしよう。

さて、動きにおいて最初に私が語ることは他の項目にも相通ずる部分である。

そもそもマジックにおける動きというのは手の動きだけではない。それは顔の動かし方、体の動かし方、視線の送り方など様々である。これらはマジックの技術の練習とはまったく関係のない別の意識が必要な部分だ。

例えば、多くのマジシャンは左側を向いて何かをしたあとに、右側に少し離れた観客に何かを手伝ってもらう際に、普通に歩いていく。それはそうだ、歩かなければ移動できない。しかし、この移動すら、観客にとってはショーの一部である。

マジシャンはある一線を持って、すべてショーである、という認識をもたなければならない。例えば、紹介されてマジックを行い、最後に観客から拍手を貰うまでが、これは一連のショーなのである。

ショーである以上、そこに存在する現象だけではなく、人物、すなわちマジシャンであるところの自分はショーにおいては動きまでもがショーでなければならない。簡単に歩いていてはいけないし、常にマジシャンでなければならない。

私を例にとるならば、私はPsykaというマジシャンを演じている傾向がある。なので、ショーの最中に素に戻ってしまうというのを嫌う。テレビなどで芸人さんが出てハイテンションに盛り上げているが、あれは彼らの素の人格ではなくブラウン管の中において特別に用意した芸人としての顔である。無論、そこの誤差の多少はあるが、ほぼ全ての芸能人はその認識を持っている。

この意識を広げていくと、ショーが終わったとしても、観客の視線がある中ではマジシャンでありつづける必要があると私は考えている。すなわち、控え室なのか、帰りの車の中なのか、観客の視線に触れなくなった時が素の自分に戻る瞬間であり、それまでは私はPsykaでありつづける訳である。

私にとって、Psykaというのは本来の自分とは異なるキャラクターとも言える。まあ、そんなに大差はないのだが、自分の持っている「Psyka」像は明確で、これをクリアにするために、どのような言葉を使い、そしてどんな動きをするのがもっとも良いかという手順で考える。行うマジックも同様だ。

私はマジックをするのは、自らを格好良く見せる道具であると考えている。だからこそ動きの一つ一つもどうするのが格好良く見えるのかを意識するようにしている。実際にどこまで上手くいっているかと言えば、パーフェクトではないので、それは日々研究といえる。

どんなに手先の技術が優れていても、私が猫背でまるまったまま小さい演技をしていれば、観客には格好良くは見えないだろう。演技から受ける印象は手先だけでもないし、現象だけでもない。体全体、ステージ全体から受けるものである。だからこそ私は自分にとっての「さまになる」演技を意識する。

自分が格好良く見える演技や動きは人それぞれであると考えるべきである。自分の体型、顔のつくり、髪型、衣装、指の形など、それぞれの状態に応じて「格好よさ」の演出方法は異なる。私は雰囲気を一定化させるために、現在は私服も衣装も全て黒を中心に統一しているが、そこに辿り着くまでには、白い衣装もあったし、紫色の衣装もあった。水色のジャケットなんていうのを営業でつかっていたこともあったが、回りまわって現在のスタイルに落ち着いている。

動きに関しても、私のステージ上での動きは小さい円の動きと曲線の動きを中心にし、直線的な動きは集中を高める際に使用している。この辺も今後お話できるだろう。

マジックというのは、手元で起きる現象の一つでしかない、というのが私の考え方であって、観客はマジックではなくマジックショーを見ているというのが持論だ。マジックショーはマジックで100%構成されることは不可能で、そこにはマジシャンという行う人間が含まれる。だからこそ、マジシャンはマジックショーにおいての「自分」を十二分に意識しなければならないのだ。

最後に紹介するのは、MOVEの章である。MOVEとは動作・動きを意味し、今回のNMTの中では技術や演じる時の動作全般に関係してくる。

この章を書くにあたって、最大の問題は技術を論じることがすなわちやり方を明かす事になるのではなかろうか、という以前から頻繁に続く「種明かし」論に繋がるのではないかという懸念だ。

本章でのベースは具体的な技術の解説に至ることはおそらくない。無論、技術名が出てくることはあると思われるが、そのものを詳細に説明するケースはないだろう。そこは私の役割でもないし、誰かが何処かで日常的に行っている修練であると信じたい。

ではここでは何が取り交わされるかというと、その技術の周辺に付随する修飾の技法や、演技をする際にあるべき動きの部分になるかと思われる。具体的なアイデアはすでにいくつかあるので、これらは近々発表されるだろう。より具体的に理解してもらうために、私自身は動画での配信も考えている。

さて

先日、某所にて若手マジシャンと話している時に、「サイカさんはあまり技術的に難しい事をせずに演技をしていますよね」といった事を言われた。

すべてのマジックに対する印象として捉えるべき話とすると、これに対する答えは「NO」となる。私は日々のルーティンや大会で行うルーティンにおいても、自分でもゲンナリするような面倒くさい手順を行っているケースがある。

そこで私は彼に対し、彼も見たことのあるルーティンが実際にどのような手順で行われているかを説明すると、彼は非常に驚いていた。そんな難しい事をしていたんですか、という意味である。

これは私が考えるところの「見せない技術」の一例といえる。本来であればマジシャンの持つ技術はすべてマジック、すなわち魔法の現象を起こすための方法論であり、それは魔法であって技術ではない。そのため、技術は「見えない」ものが前提となる。私のマジックは、特にオリジナルルーティンではそれが顕著になるのだが、この「見えない技術」という点で難儀なものが多い。悪い言い方をすれば愛好家、すなわちマニアを黙らせるための技術と言える。みているマニアは自分の知っている技術で完結するマジックのルーティンだと思っていても、実際に自分がやってみようとするといくつかのポイントで解決できない状況に陥るというものだ。無論、多くのマジシャンは気づかないで通り過ぎてしまうような細かいポイントなので、評価されていないのだが(笑)

一方で見せる技術も存在する。代表的なものはコインロールなどが分かりやすい。これはマジシャンがテクニシャンであるという従前の印象を与えてきた産物である。

私にとっての見せる技術というのは、「マジシャンらしい動き」の開発である。私のマジックは「サイカさんらしい」と言われたり「怪しい」と評されるが、これらの多くは私が拘りを持って行っているいくつかのアクションと、演技をする際のいくつかの守り事によって構成されている。私自身はマジシャンであることを「素人っぽいのにマジックがすごい」と見せるのが好きではない。マジシャンはどこまでいってもマジシャンであり、その雰囲気は保つべきであると考えているからだ。

序段となったが、今後のMOVEの章では、この「PSYKA」を形成するアクションと決め事を一つ一つ書き出していくと共に、そこにある拘りを紹介できれば、と考えている。

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