水 19 8月 1998
さて、前回のエッセイはマジシャン関係各位にご好評というか、波紋をなげかけているというか、
そんなはっきし書いたら、
誰が書いた本だか、わかっちゃうぢゃん(笑)
というお話もありつつ…ちなみに日記書きの方からも魔女狩りに関してのメールを頂きました。もともと魔女狩りの対象者というのは非常に広かったようです。けっして俗に言う魔法を使っていたものだけではなく、宗教側にとって、真理に反するもの、もしくはその可能性を持っているもの、よーは、邪魔者をひっくるめて排斥しようとしたわけです。
この時代におけるマジックというのは、本当に魔法的扱いでして、いわば今よりも不思議な力、神秘性を帯びていたという事です。
(98/08/04追記)
数年前から日本において派生したMr.マリックに代表される超魔術ブームなどは神秘性という点では、非常に中世の魔法的扱いというものに酷似しているのではと考えた事があります。しかし、中世もおそらくそうだったと思うのですが、超魔術を名乗るすべての人間が優れた超魔術師だった訳ではないようです。そこら辺のマジックショップで高値で扱われている商品をただ演じて、さも超能力のように見せかけていただけという方の方が多かったような気がします。流行っているからという名目だけで超魔術的演出に走り、不思議であれば良しとする風潮は、不思議なものを斜に見る日本文化にはピンポイントで効果を発したものの、最終的に生き残れたのはエンターテイメントとして優秀だったマリックさんだけでしたしね。他の皆さんは何処へ行ってしまったんでしょうか?
こういった時代にヨーロッパで派生したマジックの教本は、そういった魔法的な現象の教本ではなく、カードや、コイン、またカップとボール等のスライハンド(手先を使用した)マジックが大半であり、以降のヨーロッパではこういったマジックが多くなります。現在のヨーロピアンマジックにスライハンドスタイルが多いのは、こういった時代背景があるのかもしれませんが、そこまで調べきってないので、鵜呑みにしないように。また調べときます。
この「マジックと手品」の話ですが、今日、私の師匠等でディスカッションしているなかで、興味深い話を仕入れましたので、ちとここで書きましょう。もともと日本で「マジック=手品」にしてしまった人、つまり諸悪の根元がどこかにいるはずなのですが、ここでは、それを突き止めるのは、今のところ難しいのでまずは辞書を見てみましょう。英和辞書で「Magic」をひくと、和訳の第一候補は魔法なのですが、第二か第三候補になると、かならず「手品」という言葉が入ってます。そか…
てめーが諸悪の根元か(笑)
いえ、違いました。っていうか、違うと思います。これも確認は難しいですね。前回の話でわかるかどうか不明ですが、
手品≠マジックです。しかし辞書では、この二つは等号されている訳です。別々の意味だった言葉が、どこかで同じ意味にされているということになるわけです。
これは…
フィリピン人女性を「家政婦」と翻訳するどこぞの国みたいである。
よーは無知だか世間知らずだか、調べるの面倒くさい人が、そのまま自分の感覚で書いたという事になるのでしょうか?いいえ、違います。よーは、二つは違うという事を説明できる日本人がいなかったのでしょう。
この手品=マジックは多大な影響があります。皆さんは手品というと、程度の低い芸能のイメージを少なからず持ってるかもしれません。貴方はどうですか?ちょっと小馬鹿にしてません?
どうせ、ネタがあるんだろ
とか・・・・ちょっと身に覚えがありませんか?数年前の話ですが、こんな一節がありました。
この間来日して、ちょっとした話題になりましたデビットカッパーフィールドですが、依然にも来日しているのですわ。その際、彼の日本でのショーのタイトルの話、元々海外での公演の際のタイトルは「The magic of David Copperfield」というタイトルだったんですが、これを聞いた日本サイドのプロデューサーが、
マジックって手品だろ?なんか貧相だから・・・イリュージョンにしよう、そうしよう
一部アレンジしてますが言いたい事は変えてません
で、日本側ではマジックショーのタイトルを「The illusion of David Copperfield」にしようと、打診しました。いや前宣伝は勝手にこのタイトルにしたんだっけ?よー覚えとらん。この話を受けてDavidは、憤慨してこう言ったそうで
私のは、イリュージョンなんていう格の低いものではない。最も崇高なマジックだ。
イリュージョンは幻想を意味している、つまり幻であり、実在しないものだろう?
私のマジックは魔法であり、そこに確かに存在している。
確実に存在している魔法を幻というなんて間違ってるよ。
一部アレンジしてますが言いたい事は変えてません
実際にそのとおりでして、マジックとイリュージョンとを比べた時に、単語としてはマジックの方が格が上の意味合いが強いはずです。かたや幻であり、かたや魔法・・・一方はそこに見えていても存在しないものであり、もう一方は存在し得ない出来事ではあるものの確実にそこに実在する現象ですから、これは至極ごもっともということになります。しかし、日本においては手品=マジックが根強く浸透しているために、マジックというワードの価値はかなり低いイメージがあるのでしょうか?これは至極残念なことでもあります。しかし、マジックが崇高なモノであるからといって、手品も崇高ではないですよ。だって、
「The trick of Dabid Copperfield」
なんていうショーだったら、きっとみんな見にいかないでしょ?
マジックという言葉は、最近多くの場所で使用されるようになってきています。例えば、シネマジック(cinemagic)とか羽生マジック(将棋)なんていうふうにこれらは、魔法と言われるに値する奇跡のような映像技術や、指し手に尊敬の念を込めて呼ばれているのでしょうから、もしかしたら日本人の中の「MAGIC」は、少しづつですが変わってきているのではないでしょうか?
いやー、今日も長くなってまいりました。オチもなく、終わりに向かうのですが、この手品とマジックの違いを説明するのはとても大変です。特に、いざショーを見せる、という時にふられたりしたら、こりは、非常に困ります。あと番組やライブの企画ミーティングの時もそうですよね。仕事する上では面倒くさい、説明してもしきれませんからね。まさか、マジックショーをする前に黒板出してきて授業を始める訳にもいきませんし。
だからマジシャンはショーを見せるのです。マジックと手品が違う事、それはマジシャンが見せるマジックを見ると一番納得できるのです。言葉にならない感動や、凄さを、五感で感じ取る事が出来る。マジシャンの5分間のショーは、この日記2日分以上に、あなたに伝えたい事が伝わるはずです。だからマジシャンはマジックショーを見せます。
過去の遺物が犯した、「マジック=手品」という絡み合った毛糸を、ゆっくりと解くかのように、マジックショー1回が、ひとつづつ解いていくのです。いづれ、まっさらな毛糸に戻る事を信じて
