Outside of kingsroad


マルボロライト吸い始めて・・・もう10年かな。

どうも年齢と合わないような気がするのは、さておいて。
たばこは、やめる気が全然おきない。

あたしゃ、若いことからマルボロライト派でして。
学生時分は、「学生なのにリッチな煙草吸ってるなぁ」と大人の皆様に冷やかされたものです。

わたしから見れば、マイルドセブンだろうと一日三箱も吸う人の方が、断然リッチだと思うのですが・・・

煙草ってものは、百害あって一利なしと昔から申しまして。
これは、わたしも同感でございます。
集中できるから、なんて馬鹿な事言っている人もいますが、吸わない方が集中できますわ。
集中できないのは、普段吸ってるのに吸わない状況だからでしょう。

そんな、煙草ですが。これが利益となる人も中にはおます。
名前は・・・忘れました(笑)
たしか、アメリカのマジシャンですわ。

今から20年近く前のマジシャンです。

彼は煙草を使ったマジックショーを見せていました。
内容はというと、煙草を吸うんですよ。
ええ、普通の自動販売機で売っている煙草です。
食べられるような仕掛けなどありませんよ。

吸ってるわけですよ、
で、

食うんです

ま、ほんとに食べているわけじゃないと思うんですけど。
1回の演技が役7分ですが、そのなかで50本近い煙草を食べる。
というマジックショーを見せます。
ま、食べるだけじゃマジックじゃないんですが、
途中で火の付いた煙草を口から出したりとか云々あります。

彼は、このマジックショー1回につき、約40本近い煙草を吸うんです。
火ぃ付けるだけのもありますが。
口に30本くらいまとめて咥えて、火を付けるのは、それだけで圧巻です。気持ちわるくなりそう。
彼は、己の意志とは関係なく、ショーを見せれば40本近い煙草を吸います。
しかも、

彼のこのマジック、アメリカで大人気

だったんです。
当時、彼は色んなマジックショーにひっぱりだこでした。
来る日も、来る日も、彼はこの煙草のマジックみせていたのです。

しかも、ヘビースモーカーだったらしいです・・・

このお話、落ちはありません。
強いて言えば、
20代の終わりにシガレットマジックを始めた彼は、30代の終わりを迎える前に、
マジシャンとして第一線を退いています。

理由はもちろん・・・体を変調を来したからなのですが。

彼にとって、煙草は百害だったのか一利だったのかは、実は今でもわかりません。
マジシャンとしては短い人生だったのですが、
他の長々やっているマジシャンよりも一瞬の人気は凄かったのですから、
もう数年前になりますが、
50代になってからの彼の演技を、偶然テレビで拝見したことがあります。
彼の行っていたのは、
当時と全く手順も煙草の本数も変えていない、
あのシガレットマジックでした。
体を蝕んでまでやる意義のあるマジックかどうかはわかりません。
本人が、これがマジシャンとしての己の集大成だから行ったのか、
それとも、テレビ局かもしくは、そのイベントを組んだ演出家が願ったのか、

煙草の煙は20年前の演技と同じように
空へと昇るだけです。

そのマジシャンの名前は、トム・マリカ。
ああ、落ちがありました。
このマジシャン、

まだ生きています(笑)ピンピンですわ

後編を書くにあたって、
前もって誤解は解く必要が(あんまりないけど)あるので言っておこう。
わたしは、

手品師を認めていないわけじゃない

ので注意して欲しい。
手品は日本が今までに育んできた、日本におけるマジック文化の一つの形である。
それは、古い言葉で言えば手妻(てづま)と呼ばれているものかもしれない。
英和辞書を見れば、マジックは第2候補で手品と書かれているものである。
わたしが願うのは

マジックを手品と呼ばないで欲しい

という事である。両者はおそらく表裏一体であるが、永遠の距離を感じさせるほどの違いもある。
別に、このマジックを見せるからマジシャンとか、この仕掛けを使うから手品師という訳ではない。
マジックに対する姿勢や、個々に持つスタイル、理論の違いである。
・・・でも、あきらかに違うものなんだ。
マジックと手品は違うものである。正確には、私のマジックを手品って呼ぶなって話なんだけど。

昨日は、マジックにはタネも仕掛けもあると思っている事が、ちょっとした誤解だというところで終わっている。
じゃあ、一体なんなんだ?という話になる。

わたしの見せるマジックは、その大半にタネも仕掛けもない。
具体的な内容は、ここを見ている数少ないマジック関係者のために控えるが、
なにが代わりにあるかというと、

技術

である。
日本人を中心とした、観客が言うところのタネや仕掛けというのは、表面が自動的に溶けて数字が変るトランプとか、火で熱するとハートが一個浮かび上がってきて数字が変るトランプ とか、表から見て裏が分かるカードとか、そういう細工を施された道具の、実際に施された細工の仕組みそのものをさしているような気がする。観客がタネを明かそうとする時に、それらの細工を探すつもりで見ていれば、昨日も言ったが、タネは一生かかっても見つからない。マジシャンが使ったカードを大学の研究所に持ち込んでも発見できない。

なぜなら、そんな仕掛けはない事が殆どだからである。

わたしは、普段はカードを1組しか持ち歩いていない。
もちろん、おもちゃ屋さんで売っているような普通のトランプである。
このなんてことのないトランプに、マジシャンが技術を用いることで、現象を引き起こしているのである。

たねも仕掛けもありません・・・あるのは技術です。

手品師のいう常套句を、あえて言うのなら、こうなるのだろう。
こんな、ダサダサな台詞は絶対言わないけど・・・観客が示すところのタネの解釈が、僕らの用いるテクニックも含めてタネと言うのであるならば、これはタネではないので、言い方を改めるべきかもしれない。

マイメロディを帽子をかぶせたキティちゃんと言う位、恥ずかしいかも・・・

で、ここまで書くと何人かはきっと誤解するだろう。
じゃあ、タネがあるのが手品で、ないのがマジックなの?
と、それも違う。マジシャンでも大掛かりなイリュージョンを含め仕掛けを用いる人は多々いる。
無論、仕掛けの効果を200%発揮させる技術を持ち合わせているのだが・・・

っつーわけで、タネや仕掛けがマジックの絶対でないことはご理解いただけただろうか、
実際に理解してもらう為には、マジシャンの演技を見る以外には手がないかもしれない。

閑話休題、

「タネも仕掛けもありません」と言ってから演技を始める馬鹿がいる。
それも本気で言ってる(ネタとして言ってる分にはかまわんけど)

見せているものがマジックなら、魔法である。魔法にタネも仕掛けもない、あるとすれば・・・魔力か(笑)
言葉の魔力、視線の魔力、指先の動きの魔力・・・言われてみれば魔力かもしれないけど。
上記のような台詞を平気で用いる人たちのマジックショーで、
観客にタネや仕掛けの前提を与えているのは、他ならぬ演技者のほうである。

いちいち「たねもしかけもありません」なんて馬鹿な事を言わないで、
演技に没頭させる事が出来ればいいだけなのである。

結局のところ、あの台詞は、ど下手な古の演技者たちのエクスキューズであり、
それが浸透して日本人特有の手品の見方を作り上げたのかな。

こう書いてくると、肯くマジシャンや手品師も多いのかもしれないが、
じゃあ、ただ技術があることが良いかというとそうでもない。やはり、

マジックはどこまで行っても魔法なのである。

技術の塊ではない。わたしは演技を見せる時に、自分の行っている事をテクニックとは思っていない。
あくまでも魔法だと思っている。その証拠・・・でもないが、自分が行っている現象に自分で驚いたことがある。
しかし、魔法であると言い切るためには、人知を超えた努力があって始めて言い切れるのである。
わたしは、これまでにしてきた自負がある。だから、こうして言い切る。

タネややり方がばれそうになる時に、どう誤魔化すの?
と思っている観客やマジシャンがいたら、こう言いたい。

何が、バレルの?ぼくたちが見せているのはマジックだよ。
ばれるとしたら、
僕らが魔法使いであることだけさ・・・

今に始まったことではないのだが、
マジックショーをしていたり、普通の会話の中でもよく、

手品ってタネがあるんだろ?

とか、

タネを明かしてやるから見せろよ

とか、

どうせタネがあるから、わかんないんだよ

と、訳の分からない三段論法を、
人のマジックを見る前から、見終わるまでの間に展開する観客がいます。
もう慣れっこなのですが・・・

まず前提条件で、
マジックにはタネ・・・つまり仕掛けがあるというのを前提に、
仕掛けなら見破ることが出来るので、見せろといいます。

見破れると自負する理由は・・・己惚れでしょうか(笑)
演技の善し悪しにもよりますが、私クラスのマジシャンであれば、ほぼ観客を魅了する演技を行うことが出来ますので(←これも己惚れだな)、一通り、その観客は何も出来ないままショーが終わります。
あまつさえ、拍手などしてしまうくらいです。

そして、その観客は己の(根拠など何処にも存在しない)プライドを傷つけられた仕返しというか逃げ口上として、タネが分かったらマジックじゃないんだからタネは分かんないと言います。

この話は、私の経験におけるマジックショーの中でも、少なくない観客の一つの例なのですが、彼らは残念なことに、

初手から大間違い

を犯していることに気がつかないのです。
まず、重要なのはマジックショーはタネを白日の下に晒すゲームではないということです。

観客が、それを目的としていても、マジシャンは観客に魔法を見せることを目的としていますので、マジシャンは、個々の観客が求めているものに応じて様々な演出を組み込みます。
決して、タネがばれないようにしなきゃと考えているマジシャンはいません。というか、普通に演じていればバレる事はありません、

ちゃんとした実力があれば、ですが・・・

また、タネだけに固執する観客に、驚きと感動を与えることは決して難しくありません。
これは、文章にするのは非常に難しいのですが、
長年に渡って多くのマジックショーや、営業をこなす中で、自然と身についてきています。
ちなみに

タネを探そうとしても、
一生見つからないかも知れません

ここで、重要なのが最初に述べた観客の論法において、
観客が定めている前提条件です。

マジックにはタネがある。

実は、これがすでに間違っているのです。
この話、次回へと続きます。

ここんところ、日本テレビが広告媒体、マツモトキヨシがスポンサーとなり、デビットカッパーフィールドの日本公演が行われた。
このデビットカッパーフィールドなる人物、日本ではとんでもなく馴染みが少ない。知っている人は、NHKの世界のマジックショーなどでスペシャルで登場しているのを見ている人もいるだろう。一番有名な所だと、自由の女神を消した人である。

デビットの来日は、今回で4回目くらいになるはず。大阪の花博のオープニングイリュージョンのために来日した経験と、4年くらい前に、NKホールを始め、東京・名古屋・大阪で日本公演を行った。NKホールの時は、私も関係者の一人ではあったのだが・・・ただの売り子だったんだけどね、おかげで東京公演のショーは全て見れた。

しかし、その時に比べると観客の多いこと。

前回の日本公演は、宣伝媒体がテレビ東京系列だったので、イマイチパッとしなかったが、今回は大盛況。良く集まったわ、連日チケットは完売モード

内容も大きく変ってないことは前から情報が来ていたので今回は1回だけ見に行った。

実際の中身を文章で語っても対して感動も伝わらないのではしょるが、

やっぱデビットすげーわ

年をくってきたので、かっこいいというより渋くなってきたが、
マジックの現象云々よりも、とにかく演出や、お客様をのせるところなんてのはバツグンである。

ショーは通訳を付けて行うのだが、ただ言った台詞を通訳に訳させるだけでなく、
日本語と英語のギャップを十二分に利用して演技を見せる。
これは凄すぎる。日本語を喋ったりもするし、

また、大会場なのに細やかなジョークもある、
開演後、最初のイリュージョンでデビットが登場する、拍手喝采の会場。
すると開演に遅れてアリーナ席に現れる観客がいる。
普通だと、演技は継続されていくと思う所だが、

いきなり遅れてきた観客にスポットが当たるのよ

「いま、僕は何もない板の上から突然登場したんだよ、それは凄いマジックだったんだよ、君たちは見れなかったんだけど、続けても良いかな?」

その顧客に対して説明を始めるのである。
ショーのつかみとして利用できる物は最大限利用する姿勢はさすがと感服

ま、あとはいいやー。新作のイリュージョンも一つ入っていた。
渋い演出で、見ている最中なのに「はーっ」とため息を吐いてしまいました。

一部のマジック関係者や、何がどうマニアだか分からないが、デビットマニアは物足りないとか抜かしていたが、

だめすぎ。

マジック関係者の多くは、感動しようとしない。
前に見たネタだ。とか、
俺もあのネタ入れ様かな、とか
もー、ばかが多い。

トップマジシャンのショーが優れていて、多くの人の共感を得る最大の理由は、
全てのショーが、それぞれに最高であるから、である。
今回デビットは全てのショーの内容が微妙に異なっていた。演目が違うと言うやつだ
本来、デビットは全て変えるようなことはしないのだが、今回は何か思う所があったのだろう。

しかし、演出がうまい。
英語でショーを行っているのに、これだけ盛り上がるのだから、
他のマジシャンでは到底上手くいかない、
日本人がアメリカに行っても同じレベルには今のところ到達してるとは考えにくい。
しかもデビットは、2時間のショーの間に結構しゃべるのである。

今回思ったこと、
日本人は感動したショーの最後にスタンディングオベーション(でいいんだよね、立ち上がって拍手するやつよ)するスタイルがない。

前回もそうなんだけどね、

僕はいの一番で立ち上がって拍手しましたわ。
みんな釣られるように立ち上がったけど、アリーナの30列くらいまでかな。
後ろの方はぱらぱら。
2階席は皆無。

感動したショーには立ち上がって最高の拍手を送るのが、演技者にとっては嬉しいのである
これはミュージカルやクラシックなどと相通ずる物がある。

日本ではエンターテイメントへの最高の賛辞としてスタンディングオベーションすることが
少しずつではあるが、確実に浸透し始めている
しかし、デビットのショーで立とうとしない日本人を見ていると

日本ではマジックはエンターテイメントの地位を得ていないのだろうか、
ま、しょうがないよね。

日本にあるのは手品がほとんどだもん。
もっとマジックを見せないとね、
日本のマジシャンの皆さん

デビットの登場で、マジックが日本においてエンターテイメントとして成立する可能性があることに一人でも多くの人が気づいてくれる事を切に願う、今日このごろであった。

前回に引き続きマジックのお話。

日本人に限定した話だが、日本人の多くはマジックのことを手品と称する。
そりゃまあ、日本人だから日本語を使うのだから、当然と思われる方もいるだろう。しかし、

マジックは手品ではない。

ということを、多くの人に知ってもらいたいのも事実である。
英語のマジックは、日本語に訳せば「魔法」であり、マジシャンは「魔法使い」である。
これは辞書にも載っている。
日本語の手品は、英語に訳せば「トリック」である。
手品師は・・・残念ながら適応する単語がない。

つまり、海外で言うところのマジックと日本で言われるところの手品は、言葉の上ではイコールではない
というのが実際なのである。

もともと、手品は古くからある大道芸などの一品目として扱われている手妻(てづま)が語源となっている。あきらかに芸の一つである。
一方のマジックは、魔術や魔法の意味合いが強く、神秘的な術として取り扱われる事が非常に多い。世界で最初に出版されたカード(タロットだが)を用いたマジックの本は、中世ヨーロッパで魔女狩りによって迫害された一人の魔女によって書かれている。ここで彼女は魔女と呼ばれる人種も普通の人であることを露呈したのである。

日本人が手品を見る時の感覚は・・・皆さんも経験があると思うが

現象に感動するよりも、その方法の追求に比重を置く
つまり、
タネを明かしてやりたい

という衝動にかられるはずだ。
この手品の見方というのは日本独特の文化、というか性質だ。
つまり、タネが分からないとくやしいとか、
マジシャンはインチキ臭いという印象はこの辺に起因している。

この感覚を持たせてしまうのは、実はマジシャン側にも問題がある。
世の中に蔓延っている馬鹿な手品師は、手品を行った時に、
観客が驚いたり、タネが分からずに頭を抱える様をみて、優越感に浸る事がある。

こういう馬鹿が、日本のエンターテイメントの成長を妨げている。

私だって、手品師が演技をした時に、偉そうにしていたら何様だと思う。
そんなもん当たり前である。

マジックは、ジャンル別にすればエンターテイメントの一部分である。
演劇や映画と同じように、マジックには観客を感動させる力が備わっているのである。
実際に、一流と呼ばれるマジシャンの演技を見れば、
タネ云々の前に感動している自分がいるのは間違いない。

しかし、日本では手品師が育んできた、手品の世界があるのも事実である。
私は、エンターテイメントへの道を進むうえでは、この手品という表現が邪魔臭い。

実際に、私はここ数年にわたって自分の演技を手品とは呼ばない。
あくまでも、私が行っているのはマジックであり、マジシャンなのである。

一番重要なのはタネが云々と言われるような稚拙な演技をしなければいいだけなのである。演技者が、タネというかやり方を感じさせるような演技をしなければ、観客は現象や、そこで行われる今までに見た事のない奇跡というか魔法を楽しめるはずなのである。

私は年に最低1回は海外へマジック関係で旅行する。
昨年は、アメリカ・ロスアンジェルスにあるマジックキャッスルにてステージマジックを見せる機会も得た。
やはり、マジックはマジックである。

一般の方々にそれを認識してもらうのには、もっと長い時間がかかると思う。
けど、それが達成できなければマジックは日本では先細りになるのはまちがいない。

おりしも、5月には世界で一番稼いでいるマジシャン。デビットカッパーフィールドも来日公演を行う。
マイケルジャクソンやマドンナよりも興行収益の多いエンターテイナーである。
日本テレビのバックアップでマツモトキヨシpresentsなので注目度も高いだろう。

こういった、本物を見てもらうことができれば、日本人の中の「マジック=手品」の感覚が薄れていくのではないか・・・そう願ってやまない、週末のひとときだった。

« Previous PageNext Page »