Outside of kingsroad


そういえば、マジシャンが語る日記との前振りがあるくせに、
ほぼマジックの話なんてしたことがない。
面倒くさいのが第一の要因だが。

次にあげる理由は、なんといっても
文章でマジシャンが起こす現象を語ることほど馬鹿馬鹿しいことはないと私自身が考えているからだ、その最大の要因は・・・

リアルタイムの驚きが表現できないことである。

マジックによって引き起こされる現象は、ホラー映画の表現方法に似ている。
ホラー映画、中でもスプラッター等の突発的な出来事、例えばイキナリ死体が飛び出してくるとか・・・そういった類であるが、これらは小説にすると、その怖さの表現は若干変更せざるを得ない。突発的な物事の出来事は小説で具現化するためには・・・ページ変わりでも利用するのだろうか?いわゆるそういうことである。文章でマジックを表現する為には、細心の注意と最大限の配慮を持って書かなければ、おそらく書き手の考えている10分の1程の印象しか伝わらないだろう。

とはいうものの、それでは一ミリも話が進まない。
今日明日はマジックの話でも、おそらく初めとなるのだが書くことにする。
ここを読まれている中にも、たぶん数名のマジシャン(プロ・アマ)がいるはずなので、
・・・余計な突っ込みはしないように(笑)

僕らマジシャンが演技をする時に、初期の段階で指摘され、
かつ、なかなか修正ができない問題というのがある。

演技をする際に、実際に手が動作を行っている時に、その行っている事を口で説明しながらやる。
というものだ。たとえば、

カードを混ぜている時に
「いま、カードを混ぜてます。」

4枚のエースをデックの中から取り出す時に
「今、4枚のエースを取り出しています。」

とか、

みりゃ、わかるっちゅーねん!

これらは、ラジオマジックと呼ばれる。簡単に言えば目をつぶっていても、演技者が行っているマジックの現象が
最初から最後まで分かってしまうもので、観客に対して言葉というマジックの現象における武器の一つを放棄した状態で芳しくない。

これは、かなり多くの方がひっかかってしまうポイントらしい・・・大分前の私もそうだった。
ただ、この説明的なトークというのは、ほんのすこしポイントをずらしてあげると、絶大な効果を発揮するため、
一概に良くないとは言えない。
これは、ある程度のマジシャンであれば理解できるだろうが、ここで、私のつたない文章では表現できないのでパス。

で、日本のマジシャンの多くは、プロも含めてだが、この一線を超えられていない人も少なくない。
これは、実は日本におけるマジックというエンターテイメントが発達しない一つの理由でもある。
つまり、日本全体のマジシャンのレベルが高くないのである。

日本には、意外とプロマジシャンを名乗っている人が多くいる。
無論、プロといってもプロテストがある訳でもないので、ちょっとマジックをかじって、
そこらへんのクラブでマジックショーやってギャラもらってれば、プロ。

その辺は歌手と一緒で、プロの中でも人様に誇れるプロと誇れない人がいる。
その誇れないプロの多くは、ある枠の中で一番うまい人・・・つまり、お山の大将的な人が多い。

自分に有利な閉鎖的な社会を形成して、その中で自分が一番上手いという設定の基にプロとしての仕事を行っていく。
だから、外部との交流をある意味では遮断しているので本来であればエンターテイナーとして超えなければいけない大切な部分を超えられずに、
ろくでもない弟子を次々と生み出している人も少なからずいるのである。

日本のマジシャンは、マジック・・・いや、この場合は手品だろうか。手品は日本においてマイナーな芸である。
という認識をしている人が多い。

しかし、本来の手品・・・いや、この場合はマジックだ。本来のマジックは、海外にいけば他のエンターテイメントと肩をならべる、
立派なショービジネスの一角である。
アメリカ・ラスベガスにいけば、マジックショーを行っているホテルは殊のほか多い。

日本は、まだエンターテイメント後進国・・・特に手品に関してだが。それはこういった日本にいる多くの手品師の意識の低さ。
手品はエンターテイメントではなく芸である。という認識があるからと思われる。
いや、エンターテイメントと思っていても全ての要素で間違った認識でいるからかもしれない。
しかし、誤解しないで欲しい、地位が低いのはマジックではない・・・手品なのである。
マジックは、十分にエンターテイメントとして世の中で通用しているのである。

先ほどから私は、「マジック」と「手品」を使い分けている。
読者の方には分かりずらいかもしれないが、「マジック」と「手品」は異なるものだ、似て非なるものでもなんでもない、あきらかに違う。

マジックと手品は違うものである。

ええ。つかれた。このお話はまた明日。
あしたは「Magic is not Trick」をご紹介します。

実際の話、ライブの前日というのは結構あたふたする。
ましてや、リハーサルの10分前なんて言ったら、何が出きるのやらという感じ。
そんな最中でコンピューター取り出してインターネットなんてのは、ほぼ不可能。
そんなわけで、今日は何だかんだといいながら、ライブに終始一貫した一日だった。

私はライブに入るとモードが切り替わる。どう変わるかというと

こわいサイカさん

ライブに突入

もっとこわいサイカさん

って感じだ。
もう何人たりとも俺の回りには近づけないゼ!ウケケケケケケ。ってな感じになる。
・・・これだと、こわいサイカというよりも、やばやばだ。
でも、本当に怖い・・・というか動けない奴が回りにいると、
右上段回し蹴りをきゃつらの左側頭葉に叩き込んでやりたくなる。

チーフAD「おい、このデジカメ回すから、どっから電源引っ張ってこい。延長これな」
手伝いAD「はーい。わかりましたぁ」

チーフADは立ち去って行く。
彼らの位置は臨時のPAブースのすぐ近くで、私も近くにいた。
ライブのときには私の五感は触覚と味覚が閉鎖されて、
聴覚と視覚に全精力が傾けられる・・・らしい。
決して、意識して聞いていたわけじゃないんだが、
彼らのやり取りは頭の中に入っていた。

手伝いADは、PAブースにのこのこと上がって来た。
私の作業場である、準備中である。
邪魔もいいところであり、本来であれば怒鳴り散らすところ。
まあ、手伝いADなので多少のことは目をつむろう。
するとADは、電源タップの当たりを漁りだした。
残念な事に電源コンセントは余らせないで使うのが趣味なので、
当然の事ながら一つも開いていない。
ちなみに、仮にその場で見つかったとしても、差し込んだ瞬間に

アンディ・フグばりの壮絶な踵落とし

が炸裂していたであろう。
彼は電源がないとみると反対側に行った。逆側には照明屋がいる。
残念な事に開いているコンセントはない。
そもそも、設置しようとしている場所がホールのちょうど中心地で、
電源確保は困難な場所なのである。
手伝いAD君は、少しの間ウロウロしていたが、
なんと最後には

延長コードを持ったまま
立ち止まって黙りこんでしまった。

この間、私は一度も声をかけられていない。
彼にしてみれば、
「僕は手伝いなのだから困っているの見えるでしょ?声かけてください。」
と見せたかったのかもしれないが・・・

やなこった
パンナコッタの遠い親戚(嘘)

としか思わなかった。

自業自得もいいところである。頼まれた仕事を処理する為に、
言葉を口に出す事が出来ず、しかも何らしかの形で仕事を遂行する事もせず、
ただ救いの手が差し伸べられるのを待っているなんてのはいるだけ邪魔だ。
声をかけるまで、一番隅っこでじーっとしていてほしい。ましてや手伝いヅラなんてして欲しくない。
邪魔だけど、来てもらったからしょうがなく手伝ってもらったとなってしまう。

本当はそんな事、言いたくない。
けど、一握りの自分の意志を持たない手伝いほどうっとおしい者もいない。

いちいち、すべての動作を指定しなければ動けないなんて、まるで人工無能だ。
そういった人は、みんなが動いていると傍観するように立ちすくんでいる。
自分の視界の中で、自分より偉い人が、
自分でも出来そうな簡単な仕事をしていても、
決して、その役割を変わろうとはしない。
何故なら・・・指示されていないからだ。

人間は成長して行く。
手伝う為には積極的にならなければいけないという事に気付くのは簡単そうで難しい。
芸事の世界では、この積極性が目立つ事を産み、日々の練習が思いがけないチャンスを生み出す。
今回のライブで司会をお願いした若手お笑いコンビも、その一種だ。
プロデューサーからのキャスティングではあったが、一層の練習は必要なもの、
これからに期待したい。今回は進行役として70点位だった。

ライブステージの撤去作業をしているときに、
パテーションを外していた私に、司会役の一人が
「Sさん、私が変わりますよ。」と言ってきた。
彼にその場を受け渡し、その場を離れ、タバコを手に取る。
司会役の彼がパテーションを運んでいるときに、
それを遠巻きにしてみている1年目のど素人新人お笑い人の手伝い数名を見ながら、

こいつらが、それに気付くのにはあと何年かかるのだろう

と思いながらタバコに火を付けるのであった。

« Previous Page