Narrow-minded Thought


少し前に、スポンジボールの話をしていたことがある。

スポンジボールの好き嫌いは激しいようだ。人によっては見るのも嫌い、絶対やらない、あんなの受けないと言うし、人によっては、大好き、素人に受けるとか、子供に受けるとか。たぶんどっちも間違っていないだろう。しかし理論的に、なぜそうなのかを、しっかり説明できる人はあまり会った事がない。

かくいう私はスポンジボールを昔演じていた。現在はまったく演じない。ただし、スポンジうさぎは時々見せるときがある。単体の演技では見せないのだが。

色々な人との話と、私の経験則をあわせると、現時点での私の考えているスポンジに対するメリットとデメリットは以下のようになっている。

【メリット】
2つに増えるという現象が「増加」ではなく「分裂」という見せ方ができる。
カードでもコインでもない幕間のアクセントになる。

【デメリット】
どうも安っぽいので、私のキャラに会わない。
エンディングが乏しい。インパクトにかける。

他にもあるが、こんな感じの私見をもっている。

メリットにおいて、ウサギを観客の目の前でビジュアル的に分裂させた時のリアクションは非常に面白い。マジシャンが、まるで粘土を2つにわけるように、いとも簡単に2匹のうさぎにするのは、特に子供の心をぐっと掴むようだ。私の演技が終わった後に、よく子供にうさぎの首を引きちぎられてしまうのは、そのせいかもしれない。

一方でエンディングの乏しさというのは、私が感じているものである。大きくなったり、沢山出てくるというのは、私の趣味的に貧相だということだ。増えたりするものが、大きくなったり、沢山になっても、それが時によっては観客の想像の範疇を越えない。

また、スポンジは一般的に多くの人が知っている場合があり、あまり観客に新鮮さがなかったりする。別に誰もが知っているわけではないのだが、なんとなく見たことがあるという記憶が多いようだ。なので、普通のルーティンでは、「さすがプロ」と思うようなエンディングに到達しづらい。

観客の常識の範囲を超えた、唐突ともいえるエンディングがあれば、スポンジは充分に私の日常的なルーティンになりえるものと思っているが、そのアイデアはまだ生まれていない。多くのアイデアはそれが「スポンジのオチ」である必要がなかったりするのだ。

マジックにおいて、オチ、すなわちエンディングは非常に重要な要素である。「終わりよければ全てヨシ」ではないが、最後が美しくなければ、それまでにどんな優れた事を行っていたとしても、それらは全て無に帰してしまう。

体操競技の跳馬などでも、前方4回転中返りだろうが、身伸2回宙返り2回捻りだろうが、着地でしりもちをつけば、減点されてしまい、着地が完璧にきまった3回宙返りに負けてしまう場合だってある。

最後の現象のインパクト、その後のテーブル上の状態、演技者の姿勢、表情、それらがすべて一体となって、マジシャンは演技が終わるのである。それが一枚の絵になったとき、観客は反応するのである。

いままで、多くのマジシャンの演技を見てきたが、このオチが落ちないマジシャンが意外といることに驚いている。私もそんな部分を持っているので偉そうな事はいえないのだが。これは、現象さえ成立すればマジックは成立すると思っていたりする現れではないだろうか。無論、現象は成立してナンボのマジシャンである。しかし、観客には現象以外にもテーブルやそれ越しにマジシャンを含めて見ているわけであるから、それらを意識して、マジックを終えなければ、マジシャンは格好良くないのである。

マジックの大会でお会いした方の何人かに、このサイトで書かれていることをまめに読んで参考にしていただいているというお話をお伺いした。非常にありがたい事である。書き手冥利に尽きるとはこのことであろうか。

今回は、その大会で感じたある事に関して触れたいと思う。

私にとって、5分にも満たない一つのマジックと30分のマジックショーの考え方は同じである。30分のショーに起承転結があるように、1つのマジックにも起承転結は存在している。30分のショーに複数のマジックが含まれている場合、ココのマジックに必ずしも派手でインパクトのある「結」があるわけではない。それはやる演目の違いだけでなく、意図的にエンディングを控えめにするなどの配慮がある。

これは自分のマジックを終えた時点での観客の満足は、それが1個のマジックでも30分のマジックショーでも同等であるべきと考えているからだ。無論、これは私の理想論であって、私が日々行っているマジックがそのようになっているという解釈ではない。あくまでも理想として日々心がけていると知っておいて欲しい。

起承転結というと、何か物語を想定してしまうが、より演技に落としやすい言葉を使うのならば、それは「抑揚」となるだろう。抑揚の意味を大辞林第二版で紐解くと、

よくよう ―やう 【抑揚】
音声や音楽・文章などの調子を上げたり下げたり、また強めたり弱めたりすること。また、その調子。イントネーション。

となっている。

マジックの演技は抑揚を必要としている。無論、淡々とした演技があっている演目もあるが、そうではないものもある。具体的な例をあげるとするならば、ワンコインルーティンなどはその代表的な例だろう。

ワンコインルーティンは最大公約数で説明すれば、1枚のコインが消えたり、出たりする現象をひたすらに繰り返すマジックである。言うならばサーストンの3原則「同じマジックを見せない」に抵触するのではと思う部分もなくはない。まあ、これを言い始めると昨今のマジックのいくつかは引っかかってしまうのだが。

多くのマジシャンのワンコインルーティンは、コインの消失に変化を求めるために、その消失方法を変えている。左手に持っているコインを右手に移して消したり、もしくは片手で持っている状態で消したり。これは改善方法の一つと言えるだろう。

しかし、コインの消し方は、ただやり方を変えるだけでは、あまり効果がない。なぜなら、消し方の違いを理解できるのはマジシャンだからであり、一般から見ればすべては同じようにコインが消失しているに他ならないからだ。

優秀なコインルーティンのいくつかを考えてみると、その手順には巧妙な意図が隠されているケースが多い。一回目の消失を見て、観客がその方法に疑問視する考えをもったとして、2回目の消失はその疑問を打ち消す方法で消失させる。また、出現にしても、観客が意図しない場所から出たり。

1枚のコインが、最後は大きなコインに変わるのも、観客の創造しない結末だからこそ面白いのである。あれはコインが大きくなるから不思議なのではない。観客が想像していない現象だから受けるのではないか、と私は考えている。

さて、問題の抑揚だが、私はこれを台詞と動き、両方に取り入れるように心がけている。つまり演技事全体が同じペースなのではなく、速いテンポで展開することもあれば、逆にゆっくり、じっくりと見せるタームもある。こうすることによって、観客の緊張感や感情をコントロールし、エンディングに向け最適な精神状況を作り上げる、というわけだ。

私の抑揚に対する考え方を最も具現化しているのが、私のアンビシャスカードのルーティンである。

私はアンビシャスカードのルーティンはスローパートとファーストパートが存在している。中盤の現象は非常に早い口調で、手元も観客が起きている現象を理解できるギリギリの早さで行う。観客から見ているとアレヨアレヨという間に現象が起き、一瞬あせる。その後、そのスピードからぐっと落としたスピードで一度だけ現象を発生させたあと、普通のスピードに戻る。

スピードの緩急は観客に同じ現象でも新鮮さを与えることができる。ステージマジックにおけるミリオンカードなども、その緩急によって観客に与える印象が違うのと同じ事である。

台詞の強弱も同様。声を強める部分、逆に弱める部分など抑揚を効果的に使うことで、観客に一定のリズムを与えず、緊張感と高揚感を与えることができるのである。

この辺の考え方はアクション映画やホラー映画の手法に似ている。動きやカット割、音楽の抑揚によりシーンに対して躍動感や恐怖感を高めるというのは、マジック以外では普通に行われている事だ。

抑揚をマスターすると、マジシャンの腕は飛躍的に向上したように見える。あくまでもこれがマジックをより効果的に見せる調味料であるので、肝心のマジックが下手であれば、あまり意味は成さない。

※言い訳 この文章は昨晩書き上げたのだが、さきほどネットを見ていたら、秋元正氏も同じ内容で日記をかかれていた。決してパクったわけではないのでご容赦いただきたい。

19日は、町田までマジックの大会に参加しに行った。多くの話のネタを仕入れつつ終わったので、それまでにまとめていたネタと合わせながら、一つずつ精査していきたい。

マジックを長く続けていると、多くなるのは自分が演じたマジックはどうですか?というアドバイスを求める話である。これは長くやっていなくても、優秀な演技をするマジシャンが多かれ少なかれ遭遇するシチュエーションと言えるだろう。

私の場合、どうもアドバイスを求める人は多くない。どうやら怖いらしい。いや、言い方が怖いのではなく、存在が怖いようだ。たしかに無表情だし、目も据わっている。目が据わるのは、額にしわが寄りやすいので、それを出さないようにしているだけなのだが。まあ、そんな事は回りの人は知らないので、いつも不機嫌に見えているようだ。決してそんなことはない。

そんなアドバイスだが、私はアドバイスに関しては非常に神経質に取り扱うようにしている。以下の私の考え方は決して正しい姿勢ではなく、私自身が置かれている環境やその他諸々を考慮した結果、自分の考え方として定着しているものである。

私の中で、アドバイスは段階的に、助言と意見と参考の3段階に分かれている。これらはアドバイスを求めている人に応じて変えているという事を知ってもらいたい。

アドバイスというのは、影響力のあるものだ。それ一つでそのマジシャンの中に形成されている知識や技術、考え方すら左右しかねないという事を私は神経質に取り扱っている。

私が、原則的に助言をしない。そのマジックはココをこうしたほうが良いという言い方は、そのマジシャンが誰を師事しているかを理解した上で、その師事しているマジシャンと相反する考えを導入する可能性がある場合を多分に含んでいる。そのため、その師事しているマジシャンの意図が正確に伝わっていない場合のみ、訂正するようにしている。これは私の意見の非常に根底にあるものだ。

うかつなアドバイスをして、彼がそれを受け入れてしまうことによって、後に師事しているマジシャンとのやり取りで、再び修正されてしまうのであれば、それはちょっとした遠回りになってしまう。私はそれを避けるようにしているという訳だ。

具体的な解決方法を聞かれた場合は、意見を述べる。私ならこういう解決方法を使用するというものだ。これは技術的にも会話的にもどうように伝えている。しかし、これらはあくまでも私がそのマジシャンの演技をするならばこうするという事であって、それが最善であるとは述べない。あくまでも私なりの解決方法だということが前提だ。

もっと抽象的な話の場合は、参考になる話をする。これは同じようなシチュエーションに置かれた時に私はこのように解決した、このように考えるなどの意見だ。これはそのままではまったく利用できない。私の話の内容を参考に、彼自身が解決しなければならないからだ。

先般、あるマジシャンが演技をしたのを見て、あたまを抱えるマジシャンがいた。どうやらかなりダメらしい。私も同じように感じた。その後、そのマジシャンは、彼を呼び止め、具体的な説明をし始めた、「その動きは、こうしなきゃダメだ」といった内容だった。

私はこれが出来なかった。なぜなら彼がどういう経歴でマジックをしているかを理解しており、そのダメな部分は,そっち側ではヨシとされている部分だからである。そこを修正したとしても、彼は後に、「そうしてはダメだ」と言われるからだ。私がもし彼にアドバイスを求められたら、「そういう見せかたもあるが、全部が同じでは飽きてしまうので、抑揚をつけるのにこうするのも取り入れてみるのもいいんじゃないかな」という言い方になるだろう。

また、私は技術面でのアドバイスはするものとしないものが分かれている。技術的に進化を続けているものに関しては、私は最新情報を得ていないものに関しては決してアドバイスをしない。逆にある程度、理論が構築されて固められているものや、その技術のベーシックな部分に関してはアドバイスをする。そのアドバイスは的確に出来るという自負がある。まあ、私に技術的なアドバイスを求める人はあまりいないのだが。

重要なのはアドバイスはどんなものでも、上から下に伝えるものはそのマジシャンに多大な影響を及ぼす可能性があるということだ。適切なアドバイスや意見でなければ、実はそのマジシャンの将来に多かれ少なかれ影響を与えているということを、アドバイスする側のマジシャンは心に持っていなければならないのではなかろうか。

年末から年初にかけて、ニューヨークへ。

半分以上は遊びだったのだが、一部は仕事を含みつつの旅行であった。海外には人並みには出かけているとは思うのだが、アメリカ東海岸は初めて。西ばかりの私にとっては刺激的かつ魅力的な体験となった。ロスに比べると、ニューヨークの方がアメリカらしく感じた私の感覚はあまり間違っていないだろう。

今回の渡米では、マジックに直接だけでなく間接的にも参考になる出来事や経験などに多分に遭遇することができた。今後はいくつかのテーマに分けてそれらを小出しにしていけば、暫くはネタに枯渇することはないだろう。いや、別に困っているわけではないのだが・・・

仕事に関して言えば、マジック関係半分、それ以外も半分。マジックはたいした事ではなかったのだが、それの絡みで、Tannen’s Magic Shopにお伺いした。

25th st.の5th ave.と6th ave.の間にある。場所的に観光名所などで分かりやすく言うと、フラットアイアンビルのすぐ近くだ。まあ、フラットアイアンが日本人にどれだけ観光名所として知られているかは別の話ではあるが。

ビルの2階にあるこのショップは店舗部分はさほど大きくない。7坪前後というところか。馬蹄形にショーケースが並んでいる。ちょうど真中に大きな柱があるので、多少奥のケースが見づらかったりするのだが、まあネットショップが中心になりつつある昨今のマジックショップ事情的にはさほど問題もないだろう。

伺ったのは31日の閉店間際。若いマジシャンが数名ゴロゴロしていたのと、黒人の若い姉弟、年をとった好事家数名という感じ。店に知り合いがいるわけでもないので、色々と物色していた。まあ、実際に買うものは決まっていたし、新しいアイテムなどを期待する年頃でもない。

若いマジシャンはどうやらマニアのようだ。ケースのこちら側から中にいる店員に対して自分の考えたマジックを見せていた。

このような風景はどこにでも意外とある。特にアメリカでは二度目の経験だ。一回目はロスアンジェルスのハリウッドマジックである。

前提として、マジックショップはマジックマニアが集う場所としての要素を兼ねている。セミプロ、プロも含め、マジックに深く接している人たちの憩いの場所になりがちだ。これは決して悪いことではない。デパートのマジック売り場などのショーケース前を傍若無人に占拠しているマニアとそれを許して売上が伸びないディーラーなどに比べると、マシである。

まあ、そんなこんなで道具の紹介やら、そんな若者のマジックやらをしばし見て、必要な道具を買って帰っていったのだが、ふと思うことがあった。

そんなに多くのマジシャンを見たわけでもないので偉そうなことは言えないのだが、アメリカは西海岸と東海岸で嗜好に違いを多少感じた。気に入るムーブが違うのか、そもそもの軸の部分が違うのか、タネンで会ったマジシャンやディーラーの方がどうもロジカルな印象を受ける。

ロスで見るマジシャンはロジカルな部分よりも、ノリというかキャラクターのよさを受ける。どちらも欠けているのではなく、強く受ける印象が違うという意味だ。

2月頃に予定通りに事が進めばロスに行く予定。この辺のテーマを解決すべく色々な人に話を聞こうと思っている。というか、そういう確認作業をするなら、今の段階でここに書くなという話もあるのだが、まあ最初の一本目は御屠蘇気分で書くのも悪くない。15日だが。

9月から書き始めて30本目。2002年中にここまで書けたのは、私としては目標を大幅にクリアしたといえるだろう。実際には10本くらいしか書かないかな、と自分でも考えていたからだ。

メールや掲示板での反応は想像以上に少ない。まあ、しょっせん無名の一マジシャンの戯言と言う点ではイチイチ反応してられないという話もなくはないが、文句を言わないとドンドン書き続けるだろう。賛同や感想などあると、、、、やっぱドンドン書き続けるだろう。ようは書き続けるわけだ。

本来であれば、反対意見がもっと噴出しないかな、と考えていたのだが思った以上に意気地なしが多いのか、それとも概ね同意見なのか。やっぱり見られていないというのが落ちな気もするのだが、この辺は来年あたりから問い詰めていきたい。私は業界の重鎮の皆々様がもっとこういう事を言葉にし、ネットに考え方やベースになっている理論を書き記すことで、それぞれのオエライさんの魅力などが世に出るのではないかな、と考えている。それぞれのトップクラスのマジシャンはそれぞれに美学やこだわりがあり、それらに人は惹かれているはずなのだ。だからこそ、それを曝け出すことは、返せば魅力を知ってもらう手法の一つではないか、と考えているのだが、暴力的な考え方なのだろうか。

マジック業界は毎度おもうのだが閉鎖的な村社会だと思う。隣の村が仲良くなければ徹底的にこきおろす。しかし、村同士はお互い同じ土地にあるわけだから、意外と村長同士は認めるところは認めたうえで、否定するところは否定する。リスペクトの精神はどこかに必ずあると思う。もっともうるさいのは中堅支持層の意見で、これは東西ドイツ統一の際の反対運動などと見え方はまったく一緒だ。

これは2ちゃんねるなどに言われる「渋谷系」だけを指しているわけではない。規模の大小、団体間や個人間などの遺恨など、挙げればキリがないというのが現状ではないだろうか。まあ、ウイザードインや柳田氏、緒川氏の名前を聞いただけで毛嫌いする人が多いのは、この業界においてはありがちな話である。

一方で渋谷系とか何処何処系とかを気にせずボーダレスな関係を意識的に展開する人たちもここ数年で増えてきているのも事実である。大きな声では言えないが小さな声ならなんとか、というレベルでも、団体間、個人間でのコミュニケーションが少しずつ進んでいくのは、この業界においては明るい材料ではないかと思う。

私自信は、マジック界は半永久的に統一したりすることはないと考えている。よくマジック業界は戦国時代的な発想をするパターンがあるが、私的にはマジック界はプロレスの世界に非常に似ている。力道山の日本プロレスからはじまり、アントニオ猪木の新日本、ジャイアント馬場の全日本、国際プロレスという複数団体時代を経て、さまざまな異端児を創出し、乱立する多団体時代へと進んでいく。これらは離合集散を繰り返しつつも、なお多団体を形成し続けている。決してすべてが一つにまとまることは、日本においてはないだろう。(アメリカはもう少しでなりかけたが、統一までには至っていない)

プロレス界も多くの遺恨や因縁を持ちつづけていた、しかし時代が進み、多団体による業界の沈静化などによって、求められるべく、各団体間での対抗戦や交流などが盛んになってきた。永遠に実現しないと思われていた夢の対戦がファンに提供されているという点でも業界活性への道程を進んでいるのである。マジック界も今後はそうなっていくと思う。世代交代はもうすぐである。

私自身は来年以降も同じように考えを連ねるのに注力するのだが、まだまだイベントやショーを見に行ったり、マジシャンとの交流が人に自慢出来るほど多くない。なので多方面へのアプローチも考えている。どっちにせよ業界内で食べていくつもりがないので、自分の思うがままに活動するのも面白そうだ。会いたい人がいたら誰か呼んでください。遠くないかぎり、時間のかぎり、何処にでも馳せ参じます。ていうかそういう情報ください。

ウイザードインの”ウ”の字を聞いただけで横向く人以外でしたら。

って、そんな人は見ていない。

« Previous PageNext Page »