前回に引き続きマジックのお話。
日本人に限定した話だが、日本人の多くはマジックのことを手品と称する。
そりゃまあ、日本人だから日本語を使うのだから、当然と思われる方もいるだろう。しかし、
マジックは手品ではない。
ということを、多くの人に知ってもらいたいのも事実である。
英語のマジックは、日本語に訳せば「魔法」であり、マジシャンは「魔法使い」である。
これは辞書にも載っている。
日本語の手品は、英語に訳せば「トリック」である。
手品師は・・・残念ながら適応する単語がない。
つまり、海外で言うところのマジックと日本で言われるところの手品は、言葉の上ではイコールではない
というのが実際なのである。
もともと、手品は古くからある大道芸などの一品目として扱われている手妻(てづま)が語源となっている。あきらかに芸の一つである。
一方のマジックは、魔術や魔法の意味合いが強く、神秘的な術として取り扱われる事が非常に多い。世界で最初に出版されたカード(タロットだが)を用いたマジックの本は、中世ヨーロッパで魔女狩りによって迫害された一人の魔女によって書かれている。ここで彼女は魔女と呼ばれる人種も普通の人であることを露呈したのである。
日本人が手品を見る時の感覚は・・・皆さんも経験があると思うが
現象に感動するよりも、その方法の追求に比重を置く
つまり、
タネを明かしてやりたい
という衝動にかられるはずだ。
この手品の見方というのは日本独特の文化、というか性質だ。
つまり、タネが分からないとくやしいとか、
マジシャンはインチキ臭いという印象はこの辺に起因している。
この感覚を持たせてしまうのは、実はマジシャン側にも問題がある。
世の中に蔓延っている馬鹿な手品師は、手品を行った時に、
観客が驚いたり、タネが分からずに頭を抱える様をみて、優越感に浸る事がある。
こういう馬鹿が、日本のエンターテイメントの成長を妨げている。
私だって、手品師が演技をした時に、偉そうにしていたら何様だと思う。
そんなもん当たり前である。
マジックは、ジャンル別にすればエンターテイメントの一部分である。
演劇や映画と同じように、マジックには観客を感動させる力が備わっているのである。
実際に、一流と呼ばれるマジシャンの演技を見れば、
タネ云々の前に感動している自分がいるのは間違いない。
しかし、日本では手品師が育んできた、手品の世界があるのも事実である。
私は、エンターテイメントへの道を進むうえでは、この手品という表現が邪魔臭い。
実際に、私はここ数年にわたって自分の演技を手品とは呼ばない。
あくまでも、私が行っているのはマジックであり、マジシャンなのである。
一番重要なのはタネが云々と言われるような稚拙な演技をしなければいいだけなのである。演技者が、タネというかやり方を感じさせるような演技をしなければ、観客は現象や、そこで行われる今までに見た事のない奇跡というか魔法を楽しめるはずなのである。
私は年に最低1回は海外へマジック関係で旅行する。
昨年は、アメリカ・ロスアンジェルスにあるマジックキャッスルにてステージマジックを見せる機会も得た。
やはり、マジックはマジックである。
一般の方々にそれを認識してもらうのには、もっと長い時間がかかると思う。
けど、それが達成できなければマジックは日本では先細りになるのはまちがいない。
おりしも、5月には世界で一番稼いでいるマジシャン。デビットカッパーフィールドも来日公演を行う。
マイケルジャクソンやマドンナよりも興行収益の多いエンターテイナーである。
日本テレビのバックアップでマツモトキヨシpresentsなので注目度も高いだろう。
こういった、本物を見てもらうことができれば、日本人の中の「マジック=手品」の感覚が薄れていくのではないか・・・そう願ってやまない、週末のひとときだった。
そういえば、マジシャンが語る日記との前振りがあるくせに、
ほぼマジックの話なんてしたことがない。
面倒くさいのが第一の要因だが。
次にあげる理由は、なんといっても
文章でマジシャンが起こす現象を語ることほど馬鹿馬鹿しいことはないと私自身が考えているからだ、その最大の要因は・・・
リアルタイムの驚きが表現できないことである。
マジックによって引き起こされる現象は、ホラー映画の表現方法に似ている。
ホラー映画、中でもスプラッター等の突発的な出来事、例えばイキナリ死体が飛び出してくるとか・・・そういった類であるが、これらは小説にすると、その怖さの表現は若干変更せざるを得ない。突発的な物事の出来事は小説で具現化するためには・・・ページ変わりでも利用するのだろうか?いわゆるそういうことである。文章でマジックを表現する為には、細心の注意と最大限の配慮を持って書かなければ、おそらく書き手の考えている10分の1程の印象しか伝わらないだろう。
とはいうものの、それでは一ミリも話が進まない。
今日明日はマジックの話でも、おそらく初めとなるのだが書くことにする。
ここを読まれている中にも、たぶん数名のマジシャン(プロ・アマ)がいるはずなので、
・・・余計な突っ込みはしないように(笑)
僕らマジシャンが演技をする時に、初期の段階で指摘され、
かつ、なかなか修正ができない問題というのがある。
演技をする際に、実際に手が動作を行っている時に、その行っている事を口で説明しながらやる。
というものだ。たとえば、
カードを混ぜている時に
「いま、カードを混ぜてます。」
4枚のエースをデックの中から取り出す時に
「今、4枚のエースを取り出しています。」
とか、
みりゃ、わかるっちゅーねん!
これらは、ラジオマジックと呼ばれる。簡単に言えば目をつぶっていても、演技者が行っているマジックの現象が
最初から最後まで分かってしまうもので、観客に対して言葉というマジックの現象における武器の一つを放棄した状態で芳しくない。
これは、かなり多くの方がひっかかってしまうポイントらしい・・・大分前の私もそうだった。
ただ、この説明的なトークというのは、ほんのすこしポイントをずらしてあげると、絶大な効果を発揮するため、
一概に良くないとは言えない。
これは、ある程度のマジシャンであれば理解できるだろうが、ここで、私のつたない文章では表現できないのでパス。
で、日本のマジシャンの多くは、プロも含めてだが、この一線を超えられていない人も少なくない。
これは、実は日本におけるマジックというエンターテイメントが発達しない一つの理由でもある。
つまり、日本全体のマジシャンのレベルが高くないのである。
日本には、意外とプロマジシャンを名乗っている人が多くいる。
無論、プロといってもプロテストがある訳でもないので、ちょっとマジックをかじって、
そこらへんのクラブでマジックショーやってギャラもらってれば、プロ。
その辺は歌手と一緒で、プロの中でも人様に誇れるプロと誇れない人がいる。
その誇れないプロの多くは、ある枠の中で一番うまい人・・・つまり、お山の大将的な人が多い。
自分に有利な閉鎖的な社会を形成して、その中で自分が一番上手いという設定の基にプロとしての仕事を行っていく。
だから、外部との交流をある意味では遮断しているので本来であればエンターテイナーとして超えなければいけない大切な部分を超えられずに、
ろくでもない弟子を次々と生み出している人も少なからずいるのである。
日本のマジシャンは、マジック・・・いや、この場合は手品だろうか。手品は日本においてマイナーな芸である。
という認識をしている人が多い。
しかし、本来の手品・・・いや、この場合はマジックだ。本来のマジックは、海外にいけば他のエンターテイメントと肩をならべる、
立派なショービジネスの一角である。
アメリカ・ラスベガスにいけば、マジックショーを行っているホテルは殊のほか多い。
日本は、まだエンターテイメント後進国・・・特に手品に関してだが。それはこういった日本にいる多くの手品師の意識の低さ。
手品はエンターテイメントではなく芸である。という認識があるからと思われる。
いや、エンターテイメントと思っていても全ての要素で間違った認識でいるからかもしれない。
しかし、誤解しないで欲しい、地位が低いのはマジックではない・・・手品なのである。
マジックは、十分にエンターテイメントとして世の中で通用しているのである。
先ほどから私は、「マジック」と「手品」を使い分けている。
読者の方には分かりずらいかもしれないが、「マジック」と「手品」は異なるものだ、似て非なるものでもなんでもない、あきらかに違う。
マジックと手品は違うものである。
ええ。つかれた。このお話はまた明日。
あしたは「Magic is not Trick」をご紹介します。