8月 1998


久方鰤に自宅にてビデオでも見ようと、アトレ恵比寿にある新星堂で米米クラブの解散コンサートビデオ「THE LAST SYMPOSIUM」を買ってから帰宅する。

正味3時間半程度のビデオを最後まできっちりと鑑賞・・・・ちきしょー、おもしれーぞ。

もともと米米クラブというバンドのコンサートは音楽性というよりもエンターテイメント性が高い。「聴かせる」というコンサート本来の要素と同じ高さに、「見せる」コンサートであり、「楽しませる」コンサートという二台要素を持ってきている。

コンサート全体の構成やコンセプトなどもシリーズ毎に変化させ、唄だけでなくコントを挟んだり、コントメインで唄が間にあったりと、多種多様である。

昔見た時はツアーでは一つの会場で2日連続公演だが、二つのコンサートでワンセットというもの。ようは内容がまったく違う。一日目、歌っている途中でみんな止まってしまって幕が降りてしまう。

「コンサートの途中ではありますが・・・」

と米米クラブのマネージャー登場して、その場はおしまいって感じ(無論、アンコールはあるんだけどね。)で、翌日はその制止しているトコロから始まる。しかもただの演出だけではなく、そこにストーリーが存在しているのである。ちょっと下世話なネタなのでここでは書かないけれども。

今回の解散コンサートもイカしている。
登場して、

「それでは最後の曲です」

と、初手から最後の曲。で2曲歌ってほんとに終わりやがんの(笑)
しかも、会場から出るための誘導アナウンスまで流す手の込んだ演出。

で、観客は許す訳ねぇって。アンコール(米米ではボーナスショータイムと呼ぶ)を求めるわけですよ、そうするとアンコールが始まる訳です。

延々2時間30分(笑)

おそらく、国内コンサート史上希に見る長時間のアンコールでしょう。デビュー当時からエンターテイメント性の高いショーをメイクアップしていた米米ですが、最後までエンターテイメントでしたわ。これはやはりカールスモーキー石井という一種の天才が絡んでる訳ですね。ほんま、長い間ファンであった私としては残念な解散でした。

さて、このショー構成というのは、マジックにおいても重要でして。最近は丸々一本のマジックショーを演出するという事をしてなくて、しどくご不満です。

数年前は、六本木R-HALLをベースに「WIZARD NIGHT」というマジックライブショーの演出をしていましたが、あれは楽しかった。結局延べ20数回行ったのですが、毎回あれやこれやと演出やコーナーを考えて、
なるべく単なるマジックショーの連続にはならないようにと奮闘していました。結局、最終回までにあのライブで自分が演技をしたのは・・・2回くらいだったような気がしますが。

話がそれた、

マジックにおけるショー構成は、いやマジックに限らずエンターテイメントのショー構成は、決められたルールというか、御約束がありますわ。漫画やドラマ・芝居で言うところの起承転結です。やはり盛り上げるところは盛り上げて、じっくり見せるところはじっくり見せる。これは大きなショーだけでなく、15分のショー、一つのマジックでもまったく同じです。

このルールを無視して、自分がやりたいものとか、ただひたすらにインパクトの強いマジックを並べても、観客は喜ばないのです。先ほども書きましたが、ひとつひとつのマジックでもそうです。最初っから最後まで弾けるような現象の連続という訳ではないのです。仮にそのような物を完成させたとしても、それは抑揚がなく驚けるはずなのに、あまり観客が驚くことが出来ないという奇妙な現象を生み出してしまいます。

やはり、笑わせるところは笑わせて、聞かせるところは聞かせて、息を飲ませるところはじっくりと…そういった色々な観客の得る感情を揃えたり、一個所に集中させたりということを演出や構成、会話で組み立てる事でひとつの演技が成り立つのです。

マジシャンの中には、クロースアップマジック(テーブルで見せるマジック)とイリュージョン(舞台などで見せる大掛かりなやつ)は演出方法は違うからねぇ、とか嘯く方によくお会いしますが、そういう人には

君がやってる手品と僕がやってるマジックは違うからねぇ

とか言ってやりたくなるんですが、そういうマジシャンにマジで言ってみると、きっと

えっ、手品とマジックって違うの?

とか言われちゃうんだろうなぁ…と常々思います。

(99/08/03追記)
たしかにクロースアップとイリュージョン、サロンなど、どれをとっても現象の違いはあり、それを同じにすべきと言っているわけではありません。あくまでも基本となる「起承転結」の概念や、抑揚によるエンディングをよりインパクトを出す方法などの原理原則が同じであるという事です。
ステージだから、全部派手にしなきゃいけないとか、ステージは語ってはいけないとか、時折意味不明なマジック演出論を耳にしますが、まったくもって意味がわからない話ではないかと思う今日この頃です。マジックそのもののカテゴリーや見ている観客の人数、場所、様々な条件によって演出は変化しますが、その根底の部分には何も変化がないという事は、知っておいてもらいたいものですね。

マジックの大会なども大会場になると、そうに応じて色々な諸問題が出てきます。
分かりやすいことで言えば映像面ですよね。大人数でクロースアップマジックとなると、
むろん、一般の方が想像するよりもかなり多くの観客に見せることが出来るのですが、
それにも限界や制限があります。

その為、テレビカメラなどの映像は非常に大事になってきます。これは大会場のモニターだけでなく、たとえばテレビ番組などの場合でも大事ですけどね。大会場でいえば後ろの方のお客様にとっては、ステージではなく画面を見る訳ですから、この映像がその場面ごとに適切な映像を映していなければ、どんなに面白いマジックも効果半減です。

しかし、このマジックの映像というのは非常に難しいのです。
なぜなら、マジック特有の突発的な驚き、つまりエンディングに起きる予想もつかない現象というのが関係してたりします。

たとえば、1組のカードの中からカードを引いて、覚えてもらって戻してもらいましょう。このカードを良く切って指を鳴らすと、テーブルの端に置いてある鍵のかかった宝箱から出てくるなんていう場合、
演技を知らずに演技を映していれば、当然の事ながらカメラの映像は手元によっていきます。しかし、演技自体はもっと広い場所を映して欲しい。いざカードを出そうとした時に、宝箱に映像がいってなければ、こりはどうしようもないです。

マジシャンはある域に達すると、大抵の演技が次にどのような動きが行われるかが、六感的な感覚で分かります。それは自分のボキャブラリーや、過去の見てきた記憶の中から想定されるのです。

あ、今度は何かをポケットから出すのかな、とか
さっきあそこに置いた何も入ってない封筒の中から何か、とか

だから、演技の中で現象が起きる数秒前に、その演技が取り易いような状態にカメラマンへの指示が出せるようになるのです。これは本当の話。

(99/8/02追記)
ちなみに国内で放送される超能力系のテレビ番組などの大半は事前にリハーサルを行って、どこでどんな現象がどんな順番で起きるかを事前に打ち合わせしています。無論、円滑に番組収録を進めるためには必要な手順ではあるのですが、これには大きな問題もあります。

マジックの現象がインパクトがあって、驚けるのは、自分で見て脳が反応するからという理由があげられます。無論、それだすべてではありません。

全てを打ち合わせたカメラマンが撮影をすると、これから起きる現象をしっていますので、カメラマンはあまり驚きません。つまり現象とテレビの前の視聴者の間に「全てを知っている人」というフィルターがかかってしまうのです。

感覚的なものなのですが、ある程度は知っていても大事な部分は知らないで、カメラマンも驚くというのは、臨場感のあふれるマジックの映像がブラウン管に届くのです。

この手法を利用していて非常に人気が高かったのは今から6年ほど前にCATVのスペースシャワーTVの番組「BUM-TV」の1コーナーであった「WIZARDS INN」というコーナーです。

無論これは、マジックの能力だけでなく、カメラの映像そのものをある程度知らなければ行う事が出来ないというのが難点です。マジックしっていてもカメラがどう動けばどういう映像が撮れるか知らなければ、鬼に酢昆布みたいなもんです。

映像に残すマジックというのは、実は非常に難しいという講釈でございました。

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