マジシャンにとって、表情というのはとても重要な要素である。演技をしているときに、どんな表情をしているのか。自分の精神状態を表したり、表情によって観客の精神状態をコントロールしたり。
私だけではなく多くのマジシャンが、100人以上入るスペースでマジックショーをやるときに、たった一セットのトランプがあればショーを完遂できてしまうのは、遠くの観客に対して、「顔の表情」という要素を利用して現実的に有る距離感を縮める作業をするからである。まあ、距離に関しては顔の表情だけでなく動きも大いに関係しているのだが。
マジシャンはとかく手元の動きや話す内容に重点を置く風潮がある。まあ、それが重要なことに相違はない。ただ表情を蔑ろにする傾向があるのには警告を出さざるを得ないだろう。
何か現象が起きたときに、その現象が自分のまったく想定していなかったものだとしよう。これは台詞で「あれ?おかしいなあ?」で分かるものだが、観客には白々しく見えてしまうだろう。マジックにはサッカートリックと言われる現象が数多く存在している。つまり一度失敗、もしくは予定していない現象が起きるのだが、その後にもうひとつ、それを利用して更なるたたみかけで現象が起きるというものだ。私が得意にしている演技で言うと「ポケットに通わないカード」などが代表例である。
演技者が、観客に1枚のカードを選んでもらい、それをデック(トランプ)の中に戻してもらう。演技者はその状態から観客のカードがジャケットのポケットから出てくると言って指を鳴らすと、ポケットの中から1枚のカードが出てくる。観客にそのカードが自分の選んだカードかどうかを確認させると、それは違うカードなのである。演技者は慌てて同じポケットから更に複数枚のカードを取り出して、その中に観客のカードがあるかを見せるが、その中にも無い。演技者はどんどんポケットからカードを取り出し、気づくとポケットの中から何十枚ものカードが出てくる。そして、気がつくのである演技者が持っているデックが気づくと無くなっており、手の上に1枚のカードだけが残っていることに、そう、それが観客の選んだカードなのである。・・・・あああ、説明が面倒。
ポケットに観客のカードが移る現象のはずだったのに、終わってみると観客のカード以外の全てのカードがポケットに移っているのである。この現象を実際に演じるときにかなり重要なのが一回目のカードが外れたときの表情と動きである。ここをどのように演じるかで現象を見た観客が受ける印象は大差が生まれる。先ほどもいったように、特に慌てるそぶりも無く台詞だけで「あれ?違いますか、おかしいですねぇ」などと言ってニヤニヤしていては、それはマジシャンにとって予定調和の現象として観客に取られてしまうだろう。逆に、顔が一瞬こわばり、目を見開いて「え?違いますか?」といいつつ、目がきょろきょろし、少しからだが揺れたりして緊張してきたりすれば、本当に間違えてしまったのかと思われるかもしれない。
ここではあえて、どちらが正しいのか、などという野暮なことは書かないようにしよう。どちらも一つの方法であり、それに合わしたプレゼンテーションの組み方があるに違いない。しかし、顔の表情を作らないで言う台詞に信憑性や信頼性がないのは紛れも無い事実である。無表情のまま驚いた振りをするのは、おそらく難しいのではなかろうか。というか、無理である。
芝居を見ていて思うこと、それは演技は顔にウェイトが高いということだろうか。
マジシャンは上手くなっていく事と比例して、表情が豊かになっていく。それは過去に多くのマジシャンの成長して行く過程を見てきたからこそ言えることであり、これは上手くなったから表情が付いてきたのではないことも知っている。マジシャンは上手くなって来たときに、必ず「表情」という壁にぶつかるのである。それも、アマチュアの方やプロ志望の方が想像しているよりもずっと手前のほうにある壁なのである。
これを読んでいるマジシャンの方がいたら、鏡の前でぜひやってもらいたい。果たして自分は幾つの顔を作ることができるのだろう?すました顔だけなのだろうか?笑顔は?困った顔は?真剣な顔、昔を懐かしむ顔、驚いた顔・・・その顔の数が多ければ、貴方は他の人よりも少しだけ前にいるはずなのである。
