10月 2002
Monthly Archive
木 31 10月 2002
先日、マジシャン数名との話の中で技術をテーマにしばらくディスカッションする機会を得た。非常に実りの多い話だったのだが、中でも興味深い話は技術の伝承に関してだ。全ての内容をここに記すと非常に膨大になってしまうので、何度かに分けてご紹介することにしよう。
マジックの技術を私はいくつかの段階に分けて頭の中で整理してある。これが今回のテーマである。タイトルにもあるとおり、私はそれを
・この技術は出来ます
・この技術は見せられます
・この技術は教えられます
と3段階に分けている。
見たままなので、ここで終わってもよいくらいなのだが、先に進めよう。「出来る」というのはその技術がどういうものなのかが出来るという事だ。手の動きは技術の形になっている。しかし、技術の精度、成功の確率、対観客として見せられないという不完全な状態を私は「出来る技術」と呼んでいる。技術があるのは知っているが、正しいやり方を知らない場合は「知っている技術」というもう一段下に落ちるのだが、これは技術力には含んでいない。あくまでも知識だ。
この技術が精度をあげ、通常の演技に含んでも自分が納得できるレベルに達しているものを私は「見せられる」技術としている。大会やショーなどで行うものはこの「見せられる」技術である。時に、私は仕方がなく「出来る」技術をショーなどで用いる場合があるが、これは非常手段であり、緊急事態であり、私としてはプライドを押し曲げて行っている。できればやりたくないし、やるべきではない、と終わった後に反省することが多い。
見せられる技術の先にあるのが「教えられる」技術だ。これはその技術がどういう意図を持ち、何が重要なのかを自分の中で認識し、頭の中で体系立てが済んでいるものである。人が同じ技術を行っているときに、何が間違っていて、何が良くないのか、そしてどうすれば直るのかを伝えることができるもの、これが私の中の「教えられる」技術である。
なぜ、このような事を書いたのかというと、賢明な読者はお気づきだろうが、この仕分けは重要なのだが多くのマジシャンが怠っているものでもある。つまり「出来る」と「見せられる」が一緒になってしまっているケースが多いということだ。
特に気になるのが、本を読み、2,3回練習して「出来る」ようになった技術をなんの躊躇もなく「見せられる」感覚だ。時折見かけるマジシャンの中の何人かの技術力に「?」マークを持ってしまうのは、そのマジシャンがこの境界線が物凄い低い水準で線引きしているからだと思う。
私はマジシャンにとっての技術は道具の仕掛けと同レベルで神聖なものであり、大事にしなければならないと思っている。それはタネを明かす明かさないというものではなく、マジシャンが演技をする上で命綱なのだから、中途半端なものは使用すべきではない、と考えているのだ。
例えば、何かの道具があって、これが亀裂が入っていて少しガタつく。演技をするのに支障はないものの、途中で壊れてマジックが成立しないかもしれないし、観客がその傷を怪しんで結果としてマジックが成立しなくなってしまうかもしれない。もしこんな道具があったら、演技をするだろうか?おそらく大半のマジシャンはNOと答えるはずだ。もしYESならば、マジシャンとして失格ではないだろうか。
技術も同じである。中途半端なものは使うべきではないという点で道具と何ら変わりはない。しかし、技術の方が判断は自分の価値観で下さなければいけないせいか、基準には誤差がある。その意識を一度見直してみるのはどうだろうか、という話だ。
さて、この話はまだまだ続く。次回も引き続きこのお話をしたいと思う。
月 28 10月 2002
基礎、応用と書いてきて、なぜここで「準備」なのかといえば、それは曲を探すという最も基本になる部分をすっとばしてここまで理論を説明してきたからだ。何故飛ばしたかといえば、別にマジックに使う曲をいちいち買わなくても、まずは自分の家にあるCDから探すのも大事だということ。
例えば、アイドルのCDだって、インストロメンタルバージョンが入っていれば、もしかしたら使えるものがあるかもしれない。まあ、稀ではあると思うのだが。ちなみに、松浦亜弥ことあやや。じゃなーや、あややこと松浦亜弥の最新シングル、「THE美学」などは使えそうな、使えなさそうな。いや、声が入っているとまったくもってわしのレンジにはコないのだが、インストロメンタルだったら良いかも。
さて、今回の準備編「どうやってCDを探すのか」というのは、私の探すパターンをご紹介する。私の場合、マジックの曲を探すというのが日常命題になっているので、かなり広範囲で探すことが可能だ。今回はレベルと難易度(ここでは時間がかかるもの、面倒なものを高い難易度としている)もふくめてご紹介しよう。レベルは1から5、難易度はAからEだ。どちらも後者が高いレベル、難易度とする。以下に挙げたものは頻度の差はあるものの、すべて私が実際に行っている方法である。
■レベル1 難易度D
□自前のCDを聞きなおす
とりあえず、自分の持っているCDを改めて聞きなおすというのは非常に重要だ。私自身も自分が持っているCDは気が向くと聞きなおしてみる。これは趣味や嗜好性の変化によって、それまでは気にならなかった曲が、意外と良い曲だったということに発見するケースがあるからだ。
難易度を高めに設定したのは、とにかく時間がかかるため。
■レベル2 難易度A
□CDショップの視聴コーナーで探す
タワーレコードやHMVなどの大手CDショップなどは視聴コーナーも充実しており、これらを活用するのは非常に楽だ。ジャンル別に視聴コーナーがわかれているので、洋楽の必要と感じるジャンルを中心に攻めると良いだろう。
私の場合は、ポップやロックなどよりも、フュージョンやワールドミュージックなど、普段はなかなか聞くことができないジャンルなどを中心に探している。それ以外は、別のシーンにおいても聞く可能性があるので、時間短縮を心がけている。
■レベル3 難易度B
□映画を見て探す
映画を良く見る人は、その趣味の中で気になる音楽などをピックアップしておくのも良い。この場合、探すのはサントラを探せばよいので、非常に簡単だ。ただしレンタルビデオなどで見ている場合は古い映画だと多少は苦労するかもしれない。
もう一つ重要なのが、映画を見ていると音楽を聞き逃すケースが非常に多い。まあ、お約束ではあるのだが。メインテーマやエンディングテーマ以外にも、意外と名曲があるのが映画の常なので、時間がある人は音楽に注意して二回目を見るなんてのもよいかもしれない。
■レベル3 難易度C
□ラジオ・有線を聞いて探す
ラジオや有線を良く聞く人などは、そこから探すのも分かりやすい。この場合、良い曲に出会う可能性は挙がるものの、その曲が何なのかを確認するのが非常に難しい。
DJの場合は曲の最初と最後に曲名を言ってくれる番組が望ましい。それ以外の場合と有線の場合、私は放送局に電話して確認している。
ちなみに、CS放送のスターデジオというラジオ番組ではテレビ画面上に常にアーティストと曲名が表示されるので、非常に便利で最近はこちらを活用している。
■レベル4 難易度D
□テレビで探す
かなり高度になってきた。テレビ番組などは音楽の効果を非常に重要視しているため、思いもよらない名曲にであう可能性がある。これは、番組のオープニング曲とかだけでなく、バラエティのコーナージングル、天気予報のBGMなど、枚挙に遑がない。これらの大半はテレビ局に電話してごり押しで聞かなければいけないため、面倒くさいのだが、本当に欲しい曲があれば、是非そうするべきである。
■レベル5 難易度A
□適当に買う
時間はかからないが、金がかかる。運と勘と経験だけの世界。あまりお勧めはしないが、当たるとうれしい。
私の場合、一度良い曲を見つけたアーティストはアルバムを追うようにしている。また、映画のサントラなどの場合は映画のストーリーにあった曲を多く収録しているケースもあるので、映画を見なくてもジャケットの雰囲気などで買っても良いだろう。事実、私の家には見たこともない映画のサントラがゴロゴロしている。
だいたい、こんな感じである。そのほかには、他のマジシャンが使用している曲を聞き出して買うなどの方法もある。また、最近はコンピュレーションアルバムが流行っているので、雰囲気やテーマにそって曲がまとめられているため、外れを少なくして適当買いすることもできるようだ。
曲を探すということは、あくまでも準備段階で、いざ使うというときに探すよりも長期にわたって蓄積したほうがよいかもしれない。えてして、こういったものはイザという時には見つからないのが世の常なのである。
火 22 10月 2002
前回の基礎編をふまえ、応用編では具体的なジャンルと共にそのジャンルの持つメリット、デメリットなどを語っていきたいと思う。いくつかの具体例を用いるべきなのだが、良い例、悪い例、あげるときりがない。ここでは私的好例を知人の中からのみチョイスすることにしよう。障らぬ神に祟り無しである。
■映画のサウンドトラック
映画のサントラから曲を引っ張ってくるケースは非常に多い。私がここ一年間で最も多く接しているのはディズニー系の曲だろうか。他にも多くのケースがある。
これらが用いられる最大の理由は演技にあわせやすいという印象をマジシャンが持つからだと思う。これは、映画自体がマジックと同じようになんらかのシーンや意味合いを持ち、そこにあった音楽が使われているからである。ようは、演技・映像に合うようにすでに音楽が選ばれているのだ。
ムーディなマジック(解釈は様々だが)を行う際に、「美女と野獣」の”Beauty and beast”や「アラジン」の”A whole new world”などは合いやすい。そもそもが感動的なシーンに用いられている曲だけに抑揚もあり、演技が感動的なプレゼンテーションであれば雰囲気を盛り上げる効果をもっているだろう。
しかし、映画のサントラにおいてデメリットも同じ部分に存在している。
サントラの代表曲というのは、返せばその映画の代表曲ともいえる。つまり「曲=映画」のイメージが非常に強い。これは時にデメリットとなる。演技が映画本編に負けてしまう場合だ。
最近の映画。CMで多用されている。名作でも印象が強いもの。などはこの傾向が強く、これは時にマジックに大きな弊害をもたらす。つまり観客の持つ曲に対するイメージと実際に視覚で捉えているマジックの演技との落差が悪印象を与える場合だ。
前者のメリットと、後者のデメリットはご覧いただけるように同じ理由から派生しているもので、これは拭うことができない。これの回避方法はなく、しっかりとした演技をすることと、曲の持つイメージを理解した上で使用するしかない。
映画サントラで印象に残るのは、緒川集人の「ロケッティア」や「美女と野獣」だろうか、これらは曲のイメージを効果として利用する典型的な例だ。
逆にサントラだが、映画のイメージを利用しないケースだと、秋元正が7,8年前に行っていた演技。たしかロープマジックだったと思うが、これが分かりやすい。サントラを使用しているものの、メインの曲ではなく、劇中の1シーンで使用されているものだ。映画のタイトルも曲名も忘れているので、なんの参考にもならない。
サントラを取り入れやすいもう一つの理由が、音楽の情報を映画を見ることによって仕入れられることかもしれない。CDショップにいって、一枚ずつ視聴しなくても、日々見る映画の中で気になる音楽があれば、CDを購入する。これは今後音楽を導入したい人にとっては取り組みやすいかと思う。
さて、次に行こう
■新旧含め有名な曲
有名な曲というのは取り扱いが難しい。というのはリアルタイムで有名なのか、ちょっと昔で有名なのかでスタイルが変化するからだ。
これらのメリットとデメリットも相対している。映画と同様に曲自体の印象が強い。若干違うのは映画のサントラの場合、映像という付加価値がつくが、こちらの場合は曲に対する思い入れがつく。つまり思い出という名の映像だ。
例えば、自分にとっての思い出の曲があったとする。その思い出の曲をBGMにして物凄い3流の映画があったとしたら、私はその映画を見ないかもしれない。思い出の曲を汚されている気がするからだ。もしくは映画を見ながらも、その思い出が脳内にリフレインするかもしれない。どちらにせよ映画に対する弊害が発生することは間違いない。
しかし、これは全てに発生するわけではなく、その曲の鮮度によって変化する。また、演技とのマリアージュ(組合せ)がよければ、思い出を含め、効果が倍増するケースも多い。
知人の演技からピックアップするのであれば、秋元正氏の「メモリー」を使用したマイザーズミラクルなどは典型だろう。あれはストーリーラインと曲のイメージのマリアージュが成功している例だ。いまさら他の曲で見せられても、ピンと来ないかもしれない。
さらに掘り下げる
■他のマジシャンが使っている曲
禁断の手法である。願わくば同じテリトリー内で使用することは避けるべきだ。
しかし、使いやすい曲というのは存在していて、多くのマジシャンが同じ曲を使っているケースというのは多分にある。最近で考えると、Cirque du soleilの「Eclipse」が挙げられる。ステージマジシャンがステージやイリュージョンなどで用いているケースが多い。実際に流行ったのは4,5年前と記憶しているが、述べ10人くらいのマジシャンが使用しているのを見た気がする。この狭い業界で10人も見ればだいぶ多いかと。平成の「オリーブの首飾り」として認定しても差し支えないかもしれない。
ここで重要なのはマジシャンのイメージがついてしまっている曲は避けるべきだということだろうか。ここのところではそれほど強烈に曲にイメージが張り付いているマジシャンは少ないので、問題になることはないが、どんなに良い曲でもデビットカッパ−フィールドがテレビで使用した曲を使い難いと思うのは正常な思考だと思われる。その辺さえクリアすれば、あとは本人の気持ち次第である。
■日本語の曲
これまた難しい。理由はこれまでに書いたものに多く重なってくる。
日本語の最大の問題は、歌詞から受けるイメージが大きすぎるのである。また、日本人が演技する場合だと、台詞と曲の日本語がかぶってしまい、台詞がぼやけてしまう。というリスクをしょってしまい、危険度が増す。
実はこのリスクは本来存在しないリスクでもある。なぜなら海外のマジシャン、例えば英語圏のマジシャンは自分がマジックをする際に英語の曲をかけているのだから、同じ条件下といえる。
邦画などを見ても、劇中に日本語の曲をかけることはあるが、これも重なっていない。
しかし、日本人のマジックの場合、ここを意識するがあまりに、逆に際立ってしまっているのかもしれない。つまり改善方法はあるわけだ。
とはいうものの、私自身はこれまでにそのような演技にあったことはない。日本語の曲をかけて演技するケースは数多く見ているが、どうしても曲の持っているイメージが理解しやすい分、演技とのマリアージュを意識してします。大学の発表会などでアップテンポな曲だからといって、サザンオールスターズは如何なものか、などと私の耳は考えてしまうわけである。
しかし、曲のイメージを十二分に理解した上で、演技とかみ合わせることができれば。その効果は英語の曲よりも強くなるはずである。これは今後の研究課題ともいえるだろう。
とまあ、いくつかのケースについて考えてみた。参考になる部分、俺はそうは思わないよ、という部分もあるだろうが、参考にしてもらいたい。
次回は、活用編として、曲をどうやって探していくのか、私の方法を紹介していこうと思う。
木 17 10月 2002
いきなり余談だが、カメラ撮影とビデオ撮影を進めていない関係上、このムーブの章はなかなか筆が進まない。具体的には、マジカルジェスチャーの具体的なアクションや指を鳴らすというこだわり、カードの提示方法など、映像と共にご覧頂きたい技術や動きなどがあるのだが、ちっとも進まない。そのうち誰かにお手伝い頂いて作業することにしよう。
さて、動きにおいて最初に私が語ることは他の項目にも相通ずる部分である。
そもそもマジックにおける動きというのは手の動きだけではない。それは顔の動かし方、体の動かし方、視線の送り方など様々である。これらはマジックの技術の練習とはまったく関係のない別の意識が必要な部分だ。
例えば、多くのマジシャンは左側を向いて何かをしたあとに、右側に少し離れた観客に何かを手伝ってもらう際に、普通に歩いていく。それはそうだ、歩かなければ移動できない。しかし、この移動すら、観客にとってはショーの一部である。
マジシャンはある一線を持って、すべてショーである、という認識をもたなければならない。例えば、紹介されてマジックを行い、最後に観客から拍手を貰うまでが、これは一連のショーなのである。
ショーである以上、そこに存在する現象だけではなく、人物、すなわちマジシャンであるところの自分はショーにおいては動きまでもがショーでなければならない。簡単に歩いていてはいけないし、常にマジシャンでなければならない。
私を例にとるならば、私はPsykaというマジシャンを演じている傾向がある。なので、ショーの最中に素に戻ってしまうというのを嫌う。テレビなどで芸人さんが出てハイテンションに盛り上げているが、あれは彼らの素の人格ではなくブラウン管の中において特別に用意した芸人としての顔である。無論、そこの誤差の多少はあるが、ほぼ全ての芸能人はその認識を持っている。
この意識を広げていくと、ショーが終わったとしても、観客の視線がある中ではマジシャンでありつづける必要があると私は考えている。すなわち、控え室なのか、帰りの車の中なのか、観客の視線に触れなくなった時が素の自分に戻る瞬間であり、それまでは私はPsykaでありつづける訳である。
私にとって、Psykaというのは本来の自分とは異なるキャラクターとも言える。まあ、そんなに大差はないのだが、自分の持っている「Psyka」像は明確で、これをクリアにするために、どのような言葉を使い、そしてどんな動きをするのがもっとも良いかという手順で考える。行うマジックも同様だ。
私はマジックをするのは、自らを格好良く見せる道具であると考えている。だからこそ動きの一つ一つもどうするのが格好良く見えるのかを意識するようにしている。実際にどこまで上手くいっているかと言えば、パーフェクトではないので、それは日々研究といえる。
どんなに手先の技術が優れていても、私が猫背でまるまったまま小さい演技をしていれば、観客には格好良くは見えないだろう。演技から受ける印象は手先だけでもないし、現象だけでもない。体全体、ステージ全体から受けるものである。だからこそ私は自分にとっての「さまになる」演技を意識する。
自分が格好良く見える演技や動きは人それぞれであると考えるべきである。自分の体型、顔のつくり、髪型、衣装、指の形など、それぞれの状態に応じて「格好よさ」の演出方法は異なる。私は雰囲気を一定化させるために、現在は私服も衣装も全て黒を中心に統一しているが、そこに辿り着くまでには、白い衣装もあったし、紫色の衣装もあった。水色のジャケットなんていうのを営業でつかっていたこともあったが、回りまわって現在のスタイルに落ち着いている。
動きに関しても、私のステージ上での動きは小さい円の動きと曲線の動きを中心にし、直線的な動きは集中を高める際に使用している。この辺も今後お話できるだろう。
マジックというのは、手元で起きる現象の一つでしかない、というのが私の考え方であって、観客はマジックではなくマジックショーを見ているというのが持論だ。マジックショーはマジックで100%構成されることは不可能で、そこにはマジシャンという行う人間が含まれる。だからこそ、マジシャンはマジックショーにおいての「自分」を十二分に意識しなければならないのだ。
火 15 10月 2002
マジックにおいて、プレゼンテーションは必須である。具体的に何をもってプレゼンテーションとするのかは難しいところだが、何かストーリーテラーになって物語を話すだけがプレゼンテーションというわけではない。起きる現象を有体に説明するのも、これもまたプレゼンテーションの一部と言える。
今回のテーマ、リアリティとファンタジーの境界線に関していえば、前者のストーリーテリングにおける重要な要素といえるだろう。
私は、マジシャンの語る話はすべてが真実である必要はないと考えている。マジックをより魅力的に見せるという条件において、「嘘」は「嘘」ではなく「フィクション」になりうると考えているからだ。世の中に作り話は山のようにある。テレビのドラマがすべてノンフィクションだったら、漫画がすべてドキュメントしかなかったら、世の中、こんなにつまらないものはない。
フィクションは嘘と卑下するものではなく、エンターテイメント性を持った、一つのファクターなのである。これは非常に重要だ。
だからこそ、マジシャンは自分のマジックにストーリーを紡ぐ、
「私が子供の頃・・・・」
「私がラスベガスを旅行している時のことです・・・」
などなど、自らの体験談やヒストリーを枕にマジックをするマジシャンは多くいる。
彼らの多くはその物語はフィクションであり、これを「嘘だ」という観客はいないだろう。
しかし
私はここにフィクションだけではなくリアリティを持つべきと考えている。
リアリティというのは真実ではない、「本当らしさ」を指している。マジシャンの語るストーリーが「嘘」であると思われる最大の要因はマジシャンにリアリティがないからだ。
例えば、マジックを始めて1年も経っていない人が「数年前、ラスベガスに旅行した時の話です」とギャンブラーズトリックを見せ始め、「そこでマジシャンだった私は」などと話が展開すれば、これは残念なことにリアリティがないのである。
自らの体験を元にしたストーリーには必ずリアリティが必要と私は考えている。これは、マジックを初めて一年で、そういうストーリーをするな、という意味ではなく、それならそれなりのストーリーが考えられるという事を伝えたいのである。
私は、自らのマジックにおけるプレゼンテーションにはリアリティを重要視する傾向がある。例えば、ジョンハーマンの「Gemini Story」というマジックを演じる際に、私は起きる一連の現象は、アメリカで1963年に発表された映画のシナリオであるという話をし、単なる双子の話なのに何故印象深いかというと、その映画の登場人物はすべて一人の役者が演じていた。という落ちをつけ、4枚のカードが全て同じカードになるというフィニッシュを設けている。
無論、1963年にそんな映画は発表されていないし、そんな器用な役者がいたという記録もない。
しかし、このプレゼンテーションは私自身が演技において語ることによって、実際にそんな映画があったと観客に思わせるだけの説得力を演技上加えることに気をつけている。
私はマジシャンとして口から発する言葉はどんな言葉であれ、ショーの一部と捉え、ショーである以上はフィクションは必要と考えている。しかし、単なるフィクションは時には観客をしらけさせてしまう。だからこそ、そのフィクションにはリアリティという名の説得力が必要なのである。
優秀な映画の多くがメインストーリーを囲む様々な設定が細部まで作られているように、マジシャンは自分の語るストーリーは細部までこだわるべきなのである。
私の他のマジックを例に取ると、魔法のランプを使用したインターレストバニッシュがある。これはアラビアンナイトを題材に演じるマジックだが、私はこのマジックのストーリーを考えるに当たって、様々な資料を通じてアラビアンナイトを研究している。自らが詳しいからこそ、アラビアンナイトの説明に説得力が増すのである。
優れたマジシャンの多くは、このプレゼンテーションにおける説得力、すなわちリアリティにおいて格段の力を持っている。これは彼らの経験からくる説得力の場合が大半だ。しかし経験のないマジシャンも知識という貯蓄を得ることで説得力を増すことは容易にできるのである。
リアリティという鎧を身につけることができれば、単なる「つくりばなし」は「フィクション」へと昇華し、そこにはエンターテイメントが生まれるのである。
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