10月 2002


マジックを形成するものは何ですか?と質問すると・・・

・ショーマンシップ
・プレゼンテーション
・テクニック
・オリジナリティ

と答える人がいる。これはこれで正解としておこう。ここでいうマジックはもっと具体的に一つのマジックの演技を構成するものの話で、それは

・マジシャン

まあ、これは冗談。まあ、これもいなければ始まらない。

・観客

これも冗談。いやしかし、練習などでは観客がいないがマジックは成立しているか。・・・いかん、話がどんどん逸れていきそうだ。一つの現象を仕分けすると以下のような分け方になる。これは全てのマジックに存在する要素ではない。

・台詞
・音楽
・技術
・道具
・タネや仕掛け

なぜ、全てのマジックに存在する要素ではない。と言ったかといえば、音楽などはある場合とない場合があるし、タネや仕掛けもそうだ。ノーマルなカードによって行われるカードマジックにはタネや仕掛けは存在しない。あるのは優秀な手順と技術力だ。日本語においては、これを「タネ」と言うべきかもしれないが、これは「タネ」ではない。あくまでも技術だ。

日本ではカードマジックのやり方を解説する際に「タネあかし」という言葉を使う。しかし、そこに仕掛けがあるわけではなく、純粋な方法しかないのであれば、タネは明かせていないと思うのは屁理屈だろうか。私は海外のレクチャーノートなどに倣い、自分は「方法・やり方」を明かすと表現している。演技のプレゼンとして種明かしという言葉を使用するケースはあるが、それ以外でタネ明かしという言葉を使うことはない。

この辺の解釈は人それぞれではあるものの、私の中では「マジックのタネ」と「技法」はイコールとしづらい部分がある。

例えば、ポールハリス氏の「リセット」というマジックを考えた場合、あのマジックは8枚のカードのみを使い、当然レギュラーカードである。使われるのは技術であり、カード(道具)と技法(技術)により現象が成立し、そこにトーク(台詞)が加わることでマジックとして成り立つわけである。

構成要素において、マジックを成立させる上でもっとも重要な位置を占めているのは、私は技術と台詞と考えている。どんなに優秀な仕掛けを持った道具を持っていたとしても、そこに見せる技術や、マジックを盛り上げる話法なしではマジックは成立しない。

こんな事を書いていると、トランプマン氏はしゃべらないじゃないか、などという揚げ足も取られそうだが、これは話法と技術の構成比率が異なるだけで、話法を取り除くことによって、技術的な要素が大きくなるだけである。悪い言い方をするならば、逃げ道がない状態ともいえる。

安定し、高水準な技術はマジックにおいて必須であると、私は考えている。下手なマジシャンは練習すべきだ。練習はマジック単位だけではなく、個々の技術単位でも必要だろう。様々なマジシャンを見てきたが、ここ数年、私が見た中で気になったのは、プレゼンテーションや演技に比重が偏りすぎて、肝心の技術がおろそかなマジシャンがいることだ。

面白いものだが、演技がしっかりしているとマジックは演目に左右されず、成立してしまうケースが多い。これはエンターテイメントとしてのショーとしての成立を果たしているからだ。

しかし、同じ演技で技術が細部まできめ細やかであれば、これは120%の力を発揮するといえる。

だからこそ、私は技術を疎かにしないで欲しいと考えるわけである。

これは、難しい事をすべきだと言っているわけではない。カウントひとつにしても、カットやシャッフル、パームなどもそうだろう。自分の持っている技術が水準に達しているかどうか、これは改めるべき点だと、私は考える。

一つの技術を見直せば、それは、その技術を用いる全てのマジックを見直すことに繋がる。

私が長いブランクなどを経ても演技がマットウであるのは、このような技術に対する見直しを怠らないからであると、考えているのである。

マジックの構成要素はどれも必要不可欠である。しかし、それらは大きな基盤、すなわち技術という安定した土台の上にある、ということを再確認してほしい。

このお題目を語るにおいてもっとも重要なのは「Be Natural」という言葉である。この言葉はマジシャン、ダイ・バーノン氏の言葉として、今でも多くのマジシャンが自身のマジックにおいてキーワードとしている。

さて

バーノンの文献の中でもこの「Be Natural」という言葉は使用されているのだが、はてさて、「Be Natural」とはいったい何なんだろう。

最大公約数的な和訳として、日本で用いられているのは「自然であれ、ナチュラルであれ」という意味である。読んで字のごとく、書いて字の如し、翻訳も間違えようのない言葉であって、誤った翻訳のしようがないといえば、ない。

しかし、これが解釈となると様々な考え方に辿り着くから面白いものだ。これも「Be Natural」という2ワードだけが記録され、彼の本来の意図を置き去りにしてきた日本の知識伝達の功罪なのだろう。

とはいうものの、ここで本来の意味を掘り返してもしかたがない。ここでは私がこれまでに出会った解釈と、私なりの解釈を紹介しよう。

最も多い解釈というのが技術を示したものだった。すなわち、カードを操作する際に自然な動きになるようにすべき、という考え方である。

いくつかのケースがあるのだが、分かりやすいもので説明してみよう。コインを握って、ウォンドで消す。というマジックを見せるとしよう。上記の理論では、まずリテンションバニッシュの技術を上手にし、自然に握ったコインが消えるという部分を完璧にする。その上で、実際に演技をする際は、テーブルの左側にコインとウォンドがあるようにする。

そうすると左側にあるコインだから、左手で取り上げる。この左手のコインを消すのだが、消すための道具は左側にあるので、コインを右手に渡す。そして、左手でウォンドを取り上げて右手のコインを消すのは「自然な動き」となるわけである。ああ、左・右とややこしい。

つまり、この理論では左手に持っているコインを消すのだから、左手に握ったまま消さないのは「不自然」であると考えているわけである。そのため、コインを右手に移すための理由を求めるのだ。

この「Be Natural」論は10年ほど前に非常に多く見られた理論である。

次に私が出会ったのは同じように自然であれ、というものではあったが、それは人として自然であるべきという考え方だ。

すなわち、ハーフダラーのようなアメリカのコインは日本にはないのだから「不自然」であり、日本なのだから500円玉などでマジックをするほうが「自然」であるという考え方だ。

彼らは、トランプマジックもあまりやらないケースが多い。身近にあるもの、手元にあるものなどを利用したマジックを行い、日常的に身近にあるものから現象を生み出すというところをポイントとしている。無論、カードマジックを行うこともあるが、それを最初から見せることは「不自然」なため、いくつかの日用品などによるマジックを見せた上、自分がマジシャンであることを認識させた上で出すことで、自然であるとしている。

なるほど、これも「Be Natural」論である。

ここ数年で出会ったのは、マジシャンにとって自然であれば良い、という考え方である。

カードやコインマジックを持っていることはマジシャンにとって自然であり、それによって繰り出されるマジックは技術のレベルが高ければよい、つまりマジックにおける動きはどこまでいっても日常的な動きと同じようにすることはできないのだから、マジシャンとして自然であれば良いという考え方だ。

マジシャンにおける自然というのを何を指すのか、これは個々において判断が分かれるところだが、たしかにカードやコインを持ち歩いているというのは、人としては変だが、マジシャンとしては何もおかしくない。

マジシャンの演技の際の動きというのも、一般人から見れば非常に不可思議な動きである。これは最初にあげた理論を実践しているマジシャンの動きを見てもそう感じているだろう。そういった意味では論理的な動きであれば、マジシャンのムーブを無理に自然にしようとするのはおかしいと考えるこの理論は理解しやすい。

この理論は最初にあげたものに近いといえば近いか。

こうして挙げてみると、「Be Natural」という言葉に対する捉え方は人それぞれであると言う事がご理解いただけるだろう。

では、私の解釈は、というと、これらの中道を取るような形で申し訳ないのだが、「自然である=自分らしく」という考え方をしている。

これは自分というマジシャンがどのようなマジシャンであるかというキャラクター認識を必要としているのだが、自分にとって自分らしければ他のマジシャンがそれは不自然だといっても良しとする考え方である。

しっかりとした技術的な裏付けをもっていれば、大雑把な動きをするマジシャンもいれば、理路整然と細やかな動きをするマジシャンもいる。コインを持ち帰るのにも、マジシャンごとの解釈と意味付けが通っていれば、万人が同じである必要はないという事だ。

日用品を使おうが、カードやハーフダラーを使おうが、それが自分というマジシャンにとって自然なことであれば、それでよいのではないだろうか。

ただし、これらはあくまでも技術的に一定量の水準を満たしている場合のみに適用すべきと考えている。最低限の技術を習得し、技術的な綻びがないマジシャンが自然を追及する際に進む方向を一々そろえる必要はないだろう。

無論、理論的にこうしなければ不自然すぎるという考え方は存在している。これは理論上不自然なものの多くが、観客にとって見づらいものになっているので、修正すべきという考え方だ。

具体的な例であげるのであれば、カウント類がその一例となる。右手にピンチクリップで持っているカードを左手で取りながらカウントしていくたぐいのもの、例えば、エルムズレイ・リバース・ヨルダンなどがそうなるだろうか。

これは右手にもっているカードを左手で取るのだから、動く手は左手である。右手は動かない方が自然だろう。右手が動くのであれば、左手で1枚ずつとる形は不自然であり、もしそうするのであれば、右手にディーリングポジションで持っていて、親指で1枚ずる落としていくほうが自然と思われる。ちなみに両手とも動いてしまうのは論外だ。観客にとって見づらいことこの上ない。

私自身の技術は全てが完了しているわけではないが、このような観客の立場にたった見易さを考慮している。一つ一つの技術単位での認識をした上で、現象を起こすための全体の流れを作れば、これはみやすいマジックとして成立しやすく、結果、私にとっては自然な演技である。と考えるわけだ。

「Be Natural」という言葉は、少し古い言葉になっている事は否めないだろう。文献的にも少し古い頃の話であり、ここ数年のマジシャンにとっては知らない言葉かもしれない。しかし、多くのマジシャンが影響されたダイ・バーノンの言葉として、そこに込められた意味は現代においても必ず通用するものであることは間違いない。是非、一度「Be Natural」について考えてもらえれば幸いである。

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