ここのところ、新旧その他諸々で多くのマジシャンと接する機会を持っている。一期一会というわけではないが、このページを書くに当たって、彼らとの出会いは貴重な研究の場である。
今回の話の対象は、決意の大小の差、今現在置かれている状況や実力の差を考えずに、プロマジシャンと呼ばれる、マジックを生業としている人たちと話している中で気になった話である。
ここ数年、私の身の回りではプロマジシャンを目指している人を多く見かける。無論、すでに営業などを行っていることを考えれば、それは目指しているのではなく、すでにプロマジシャンと言えるのだが、そんな彼らは決して技術力的に誉められる人だけではない。当の本人すら自分の技術力に関してコンプレックスを持っている人がいる。
私はそのような帯域の人を中心にある質問をしている。それは、何か特定の技術を、それだけを練習することがあるのか?またそれはどのくらいの頻度で行うのか、というものだ。
話がボケるので具体的な技法名にしよう。例えばエルムズレイカウントと仮定する。エルムズレイカウントを練習するために、それだけを行う時間を持っているのか?という話だ。
この質問に、若手を始め多くの人間の答えはNOであった。
中でも多く見られたのは、エルムズレイカウントの練習はするが、それは何かのルーティンを何度も繰り返して練習することで、エルムズレイカウントの練習としている。という答えだった。
私はこの方法には疑問をもつ。
演技の反復練習は技法の練習ではなく、あくまでもルーティン上での技法の確認作業であると考える。もし、その方法が成り立つのであれば、プロゴルファーのクラブを振る回数とボールを打つ回数は一緒になるということだ。どんな世界の、どんな技術でも、そのフォームを確定させるまでに素振りを繰り返すのは基本ではなかろうか。
技術のベースを習得するまで、エルムズレイカウントを何度も繰り返したはずなのに、そこそこまでできるようになった段階で、それを放棄し、演技の中で練習しているという事を彼らは言っているのだが、それまた随分、偉い話である。そんなに完成度の高いところまで練習したのか?と問いたくなる。そもそも完成形とは一体なんなのだ、と。
私は日々のルーティンでの練習が物凄く少ない。まあ億劫なだけではあるが。
ある程度の評価を受けているマジシャンにこの話を聞くと、大半のプロマジシャンは、必ず技法だけの練習を自身のプログラムに取り入れている。これはスポーツにおける準備体操に近いのではないかと考えている。
決して,、技術だけの練習を常に行っている人が優れているわけではないと考えているが、私の聞いた範囲においては、この差がそのままマジシャンとしての評価の境目になっていたので、このように書かせていただいた。
いくつかのテーマを抱えているのだが、日々研究中。なかなか面白い話にまとまらない。研究課題はいまだ多く、まだ語り尽くしていないのだが、ことさら言葉にするためには自分の中での反芻作業。他者との討論による煮詰める作業などが欲しいところ。より多くの識者、マジシャンと会うべきだろう。掲示板での会話ももっと活発になると良いかもしれない。
私の書いている話は100%がマジシャン全般の為でもない、中にはプロマジシャンやそれを狙う若者など、マジシャンの中でも特定の人たちへのアプローチが多分に含まれている。そこの境界線は明確にすべきなのだが、まあ、読者が判断してくれるだろう、という甘い認識のまま進めていく。
マジックにおいて、手と口同様に重要な位置を占めているものに、視線がある。マジシャンの視線は現象を効果的にするために、非常に重要なファクターである事は、ここをご覧になられている方の多くがすでに体験し、実践しているものと思われる。
たとえば、右手に持ったコインを左手に渡して握りこむ。息を吹きかけて左手を開くとコインが消えてしまう。これだけの演技を行うのも、視線の使い方一つで現象の効果を増幅させることも、減少させることもできてしまう。
ベースになるのは、マジシャンは現象の発生するポイントを見るということだ。現象を発生させるポイントと、現象を発生させる行動を起こすポイントは異なる訳だから、観客に現象を発生させるポイントを見せるためには、その場所を見る必要がある。
マジックの場合、観客はマジシャンが見ている場所(意識している場所)を見る傾向がある。つまり観客の視線をコントロールするのは、その大半の役割をマジシャンの視線が行っているという事はマジックをする上で意識すべき点である。
また、マジシャンが観客を見ていると、観客はマジシャンを見る。これも忘れてはいけない。観客を見るというのは、観客側を見るという事ではなく、文字通り観客を見るのである。仮に10人の観客がいたと仮定して、このうち30〜40%の人とアイコンタクトをすることができれば、ほぼ全員がマジシャンの顔を見ていることになる。
マジックは、マジックという現象を見せるだけでなく、それを行っているマジシャンを見せているという事を忘れてはいけない。マジックの現象だけしか見ないのは、マジシャンだけだ。どんなにタネを明かそうとしていても、どんなに斜めに見ている観客でも、マジシャンが行う視線の動作に抗うことはできない。
しかし、正しいコントロールをしていなければマジシャンの視線の動かし方は一転して怪しい部分を露呈してしまう道具になりえる。たとえば手元で何かの処理を行わなければならないときに、視線が観客側を向いていても、焦点が観客にあっていなければ、観客はマジシャンを見ないで、手元を見てしまうだろう。
見るという事は、意識するという事である。意識が別の方向に向いていれば、観客は視線にはないどこかへ飛んでいる意識を探そうとする。結果、観客の視線は手元へと誘導されてしまうのだ。
人が見るという事は意識することである。マジシャンの演技を見ている人がマジシャンの意識するもの、すなわち視線に注目するのは当然である。その際に、視線が意識とイコールではないのであれば、そこの観客が気が付くのも当然であるという事は演技の際に意識すべきではないだろうか。と繰り返しておこう。
一方で、現象を観客と自分の視線の間で起こすという姑息な技もある。現象の起きている延長線上にマジシャンの顔があるのは、意外とドキっとするものだ。なにか心を鷲掴みにされる感覚に陥る。
これはもともとの手法はディナーショーなどでの歌手が用いている手法だ。歌手の歌に酔いしれてボーっと見ていると、くるっと、振り向き歌手と自分の視線が重なる。これはかなりイチコロである。ジャニーズのタレントの多くはこの辺の技術が優れている。
マジシャンが演技中に観客と視線を交わすべきというのは、現象の効果を挙げるだけでなく、マジシャンの世界に引き込むという意味でも効果的だ。この辺は、マジシャンのショーを見るよりも、ライブやディナーショーの歌手、もしくはマルチ商法の宣伝マン(笑)、宗教家などが参考になる。いや、参考にしなくても良いのだが、手法としては同じジャンルではないかと考えている。
視線に関する考察もより深めるべきポイントではないかと考えた。