2月 2003
Monthly Archive
木 27 2月 2003
間が空いてしまったが、引き続きサーストンの三原則やぶりのお話。
復習のために書くと、サーストンの3原則とは、
「マジックを演じる前に現象を説明してはいけない」
「同じマジックを2度繰り返して見せてはいけない」
「種明かしをしてはいけない」
で、前回は「マジックを演じる前に現象を説明してはいけない」に関してお話した。今回は「同じマジックを2度繰り返して見せてはいけない」だ。
これに関して、私が海外のマジシャンと話した内容をベースに考えると、「同じマジックを2度繰り返して見せてはいけない」に対する考え方は人それぞれで、私の仲の比較的良いマジシャンの1人、Alfonsoにおいては「もっとも素晴らしいのは、1人の人に見せるマジックは全て1回だけがいい」とまでいう。繰り返しどころか、同じマジックはその人には一度しか見せないということだ。なるほど、そりゃすげえ。無論、同じ事が二度行われないということは、その一回の現象が強烈に印章付くと共に美化されることで、最上の奇跡の「記憶」を作り出すことができる。
日本で見たり、聞いたりするなかで多いのは「一度見せたあとに、『もう一回見せて』と言われてやってしまうのは良くない」というものだ。これも理解できない事は無い。一度見たマジックを続けて行うことは、観客側が前回見た記憶をトレースすることで、現象を見るのではなく違う視点(すなわちネタを探す行為)を持つことができるため、「してはいけない」というよりも「やっても効果が薄い」ということになる。まあ、そんなことはサーストンに言われなくても分かるやろ。とか思うのは私だけだろうか。いや、そんなことはない。
しかし、私はここでも普段の仕事で原則やぶりをしていたりする。まあ原則やぶりというか抜け道のような気がするが。
その最も多い例が、「アンビシャスカード」と「ポケットに通うカード」である。私が知り合いのバーでのクロースアップマジックでのショーは、この両方がほぼ間違いなくルーティンに組み込まれている。
バーでのショーはショータイムが切られているのではなく、雑談の中にマジックを織り込む事が多く、観客からの要望も多く出てくる。特に多いのが、もう一回やってくれ、というリクエストだ。おそらくマジックをしているにおいては、よくある話である。
私は、これらのリクエストを「同じ事は二度もしません」と言って断ることが出来ない。なんか居丈高で全部そんなことを言っていると「やっぱカードに仕掛けがあって準備しないと出来ないんだ」とか思われる事もある。そのため、同じマジックを行う。
ただし
私は、「アンビシャスカード」と「ポケットに通うカード」に関しては通常行うルーティンとは別に、同じルーティンをほぼ同じ流れでまったく違う技法を用いて行う「裏ルーティン」を持っている。そのため、同じ現象を同じようにやっても、観客は前回の情報をもとにやり方を暴こうとすることができない。これは私の対処方でもある。
また、この裏ルーティンに加え、「別エンディング」を複数用意している。同じルーティンの流れだが、エンディングだけ変えることにより、同じマジックを見るという一種の驚きのない演技の最後にどんでん返しを設け、観客に予想していなかった驚きを加える。これは一種の演出だ、という考えすら観客に与えることが出来る。
これは同じマジックを二度繰り返してはいない、ともいえるが、「ポケットに通うカード」自体は二回演技しているわけだから、やはりサーストンの原則には違反しているような気がするのだが。
これもどうだろうか?
木 6 2月 2003
マジシャンならば、サーストンの三原則は誰もが知っていなければならない、というのがネット上でサーストンの三原則で検索した結論だ。ここでいうサーストンというのは、1900年代初頭に活躍していた(らしい)マジシャン、ハワード・フランクリン・サーストン氏を指している。
大半の説明では、サーストンの原則はこのサーストンが言ったこと、とされているが、説として、彼の文献の中から、日本人の翻訳者がまとめなおして、このようにした、という話もある。まあ諸説紛々、誰かいったとしてもたいした差異ではない。まあ、もしサーストン本人がこう言っていなかったとしたら、いい迷惑な気もするが。
サーストンの三原則とはほぼ大半の解説は以下の通り
「マジックを演じる前に現象を説明してはいけない」
「同じマジックを2度繰り返して見せてはいけない」
「種明かしをしてはいけない」
元の文献を読んだことも、サーストン氏の考えを聞いたことも無いので、
まあ、この文言から推測するしか現状としては手がない。
推測するといっても、読んで字の如しとはいえるだろうが、いくつかの解説を読むと、どうやらこの3つの原則は必ず守らなければならないようだ。なるほど。
これらの原則はおそらく、例外が存在しているはずだ。残念なことに、これらの三原則を説明している文献や解説などをみても、例外については触れていない。私などは例外だらけで、三原則やぶりまくりだ。そういう点から考えると、マジシャンじゃないのかもしれない。
実際に、どのような状況下において、これらの原則をやぶっているのか、今回で書ききるのは面倒なので、今後、何回かにわけて、その状況を語りたいと思う。これらは原則やぶりになっているのか、そして、それはいけない事なのか、という事を考えていただきたいと思う。
今回とりあげるのは、「マジックを演じる前に現象を説明してはいけない」だ。これは人により、表現がことなり、「あらかじめ演技の内容を話さない」とか、「現象を説明しない!」とか、書き方は様々ですが、これはようは、発生する現象の結果を、その現象が発生する前に説明してはならない。ということでしょう。ああ、日本語は難しい。
これに対する私の考えは、035「期待した結末と予想通りな結末の違い」に現れている。状況に応じて、現象が発生する前に、現象を説明することによって、その結果を受けた観客の驚きが倍増するケースは決してないとはいえない。ではなかろうか。
他のサイトでケースとして挙げていたのは超魔術系である。この分け方が正しいかは別にして、現在おかれている状況を正確に理解した上、起きる現象が不可能であればあるほど、その状況は説明したほうが、観客の驚きを増加させることができる、と考えられかと思う。
例えば、1組のカードを観客に渡して、良く切り混ぜてもらう。その中から1枚のカードをマジシャンにも見えないように取り出して覚えてもらい、そのカードを中に戻して、再び混ぜてもらう。この状態から観客のカードをマジシャンが当てるというマジックがあったとしよう。(035のコピペ)
このマジックのポイントは観客がよりカード当てが不可能な状況だと思えれば思えるほど、そのカードが当たったときに驚けるわけだ。つまり、そのカード当てがどれだけ不可能な状況なのかを観客が理解している必要がある。
これは現象の説明とは多少異なるかもしれないが、起こすべき現象を理解してもらう為の説明という点では、同様の意味を指しているとも考えられるだろう。
これも原則をシビアに捉えるとダメなのだろうか?
水 5 2月 2003
マジックの進化や成長というのは、マジシャンの想像力にかかっているという事は意外と忘れられているポイントだ。036「マジック教本の無責任度」で述べた内容に対して、掲示板にていくつかの書き込みがあったが、ビデオが一般的に広くマジックの教則として利用されるまでの長い間、マジックは考案者と使用者の間をつなぐものは「フェイストゥーフェイス」か「人づて」か「レクチャーノート」であった。
レクチャーノートは先に述べているように、その技術やルーティンの完成形を100%伝えることは難しい。そもそも本来はありえない事を言葉にする事が非常に難しいことだったり、複雑な動きに加え、手の動かす角度などは、ノートに書ききれるものではない。
このノートの持つ未完成度は逆にマジシャン、つまり利用者の想像力を発展させる要因であったことも忘れてはならない。本を読んでも、どう考えても技法として成立していないという事は多々あり、これを技法として成立させるために、必要な動作や考え方を補完する。それがノート時代に多くのマジシャンが努力し、そして手に入れていた財産といえよう。
掲示板にLILLIPUT氏が書いていただいた、
実際にビデオによる解説が主になった頃片倉さんたちと話してた事であるが、ビデオでの演技を先にみてしまうとそれを超えにくいよね。文章ばかりの時代には勝手に自分のイマジネーションで補って読んでおり、それがまた独自のハンドリングを産んでいたものであり、殊によると原案者より上手いって人もいたと思う。
というのは、ノート時代のよくない部分と良い部分を端的に表したご意見だ。ノートにはこれまでに話してきた弊害だけでなく、それを補って余りある、マジックの発展への寄与があったといえる。
マジックの文化は、これまでの「レクチャーノート時代」と「書籍・ノート混合時代」を超え、ここ数年で「ビデオ時代」そして、これから主になるであろう「DVD時代」という「映像時代」へと移り変わっていく。これは文明の進化であり、小説と映画のようなそれぞれの良さが明確に異なるものと違い、より製作者の意図が明確に伝わりやすい、映像を用いた手法にシフトされていくことは明白だろう。
しかし、映像時代の発展は、これまでに苦労でもあり発展の礎かもしれない、「文章時代における想像力の向上」を失う可能性も秘めている。
私にも小さいながらも経験がある。Brother John Harmanの教本を某茅場町のショップではじめて購入した。(あそこでの購入は後にも先にもこれ一つだったりする)なれない英語を苦労して覚えたマジックはジェミニストーリーと、サインドカードだったと記憶している。
ジェミニストーリーに関しては技法はそのままではあるものの、細かいディティールが教本とおりだとしっくりこない。結果として自分なりに改良し、ルーティンはそのままで、より見やすいものにした。
私自身は、本人の演技を見たことがないので、どちらが優れているかは知らないが、別の人に見せてもらった、ジェミニストーリーより私は自分のムーブの方が良いと思っている。これも教本に自分の知識と想像力を加えることで生まれたケースだ。
これから先、映像によるレクチャーが主流となっていくと、考案者のコピー演技が増えていってしまうのであろうか。これは場合によってはマジシャンそれぞれがもつ個性や想像力を失う傾向を招く可能性があり、その結果、誰の演技を見ても、その考案者のコピーになってしまったら、
そうなることは無いかもしれないが、その可能性を否定しきれない一抹の不安を感じている。
追伸:
この回の話をまとめるにあたって、掲示板でのAKIMOTO氏、LILLIPUT氏のご意見を参考にさせていただきました。両氏に感謝を。